──一月の新刊『ダブル・ファンタジー』は「週刊文春」連載中から話題を呼んだ長篇小説ですが、大胆な性描写をふくめ、これまでの村山さんの小説とはかなり違うイメージを受けます。この作品を書かれたきっかけを伺えますか。
村山 まず、自分の殻を破りたいということがありました。小説家として、私はどこに向かっていくのだろう。どういう小説を書いていきたいんだろう、と自問した時に、このままずっと同じテイストのものだけ書いていたら駄目になってしまう、と感じて。一度思いっきり突き抜けたものが書きたかったし、今まで遠慮していたものをとことん突き詰めてみたかったんです。
──いわば、“大人の成長小説”という側面もあるこの物語のヒロインが三十五歳、というのは絶妙な年齢設定だと思います。なにか意図はありましたか。
村山 三十五歳というと、女性が、特に性的に、いちばん惑う歳ごろだと思うんです。実際は三十五歳から四十五歳くらいまでずーっと惑いがあると思うんですが、文字で目にしたとき、例えば四十五歳と書くと現実の四十五歳よりも年上に感じてしまう気がするんですね。今時は、現実の四十代が、文字にしたときの三十五歳くらいではなかろうかと。
──村山さんご自身の三十五歳のときはいかがでしたか。
村山 まだ、ねんねだった気がしますね(笑)。今、思うと三十七、八歳くらいに、自分がまだ“女であること”を全うしていないぞ、という焦りが生まれてきて、今できることは今やっておかないと、と重い腰を上げたところがあるんです。それから俄然人生が面白くなってきました。自分の体力と精神力を信じられる間に動けて良かったと思います。
──主人公の奈津が数々の男性と出会う中で彼女自身の問題と向き合い、乗り越えていきますが、そこはかなり意識的に書かれましたか。
村山 最初からすべて細かく企んだわけではないんです。この小説はあえてラストを決めずに書いたので、どんな風に物語がうねっていってくれるかは、私自身にも分からなかったし、半ば賭けのようなものでした。奈津をめぐる男たちと奈津の関係を書きすすめていくうちに、それぞれの男が自分の役割を果たしていって、結果的に奈津を成長させてくれた。どちらかというと、書きながらリアルタイムでの化学反応ですね。
──ラストは決めておられなかったのですね。書いていて、もっとも苦労されたのはどの辺りでしょう。
村山 ずうっと苦しかったです。奈津には、母親という縛りがあり、夫からの支配があり、そこから抜け出すために格闘していっているはずなのに、出会った男たちとの間にいつの間にかまた同じ関係をつくってしまう。「いい子」でいなければいけない状況を自らつくってしまう弱さがあるんです。書きながら私自身も奈津と一緒になって悩みぬいていました。
ラストシーンが降ってきたのは、連載の半ばぐらいだったと思います。東京の仕事場の窓から花火を見ているときで、結局、人はひとりきりなんだよなあ、なんて考えていました。
──母親の縛り、つまり奈津の「母の娘」問題には作中で繰り返し触れておられます。
村山 女性は永遠に母親から支配を受ける対象であるという宿命がある。意識しているかどうかにかかわらず、多くの女性が大なり小なり母親への複雑な愛憎を抱えているんじゃないでしょうか。それがいいほうに働いて自分を律する何かになればいいんですが、足枷(あしかせ)になると辛いですね。
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