■小説は双方向のコミュニケーション
──奈津の性的な抑圧も源流は母親にあるとも読めるのですが、案外そういうかたは多いかもしれませんね。
村山 小説を読むことで、自分もそうだった、自分一人ではなかったんだと感じて救われることは多々あると思うんです。私自身もそうして何度も本に助けられてきましたし、逆に読者から、自分のことが書かれているみたいで滅茶苦茶感情移入しました、という反応をいただくとすごく救われます。一般的には作家が送り手で読者が受け手、と一方通行のメディアのように考えられがちですが、決してそんなことはない。読者との双方向のコミュニケーションが成り立っているんですよ。
私にとって小説を書くということは、ひとり森の中で狼煙(のろし)を上げているようなものなんです。発炎筒であれ、花火であれ何でもいいんですけど、ここにこういう者がいます、と遠くのだれかに向かって信号を発している。それを見つけた誰かもまた狼煙を上げてくれる。そういうイメージです。
──奈津が自分を解放していく転機になる男たちもリアルタイムで決めていかれたのですか? 彼らのプロフィールは当初から決まっていたのでしょうか。
村山 全員決まっていたわけではありません。このひとが奈津の終着点じゃないでしょう、と思って途中で登場させた人物もいますね。
──奈津にとって意味のある男とない男が登場するのも面白いです。
村山 スカをつかんだ時のものすごくむなしい感じも書いてみたかったんです。なんだよこの男は(笑)。そういう経験も積んで、奈津はしたたかに強くなっていく。男性が情事の翌朝ベッドであ~あ、とため息をつくように、女もやっぱりそんな気持を味わうことがあるわけで、そういう部分も書きたかった。
──スカかどうかは何で決まるんでしょうね。
村山 どうしてスカか、というと、多くの場合、女性のセックスにはファンタジーが必要だから。奈津も、彼女なりの発見として、相手に対して全くファンタジーを抱けないと、しらけたままで身体も深く感じられないということがわかっていくんです。相手が淡白な夫だけのときは性欲を抑えることが一番辛くて、他の誰かとのめくるめくセックスがあればすべて解決するかのように思っているけれども、経験を積んでちゃんと感じられるようになっていっても、彼女の場合は相手が自分を凌駕(りょうが)する存在であるというファンタジーを一瞬でも感じさせてくれないとやっぱり駄目なんです。
──なるほど。奈津と関係する主な男性キャラクターについて村山さんの寸評をつけていただきたいのですが。
村山 寸評ですか(笑)。そうですね、志澤は演出家だけあって自分自身の見せ方を心得ていて、しかし同時に自分にファンタジーを抱きすぎている、そういう男ですね。性的におぼこだった奈津は、ころっと騙されて、彼が演出するままのイメージで彼を見てしまったけれど、やがて目が開かれていくうちに、だんだん志澤が大きく見えなくなってくる。わりと張りぼて感のある男じゃないかな(笑)。
岩井先輩は、これまで私が書いてきた男性の中で最も人間くさい。ものすごく優しくて、同時にものすごく弱い。奈津とは友情や信頼があった上での性的パートナーであり、一番の理解者だけど、その反面とてもずるいところもある。書いていて面白い人物でした。
年下の大林については、作者が言うのも変ですが、かなり未知数な男なんです。奈津も彼が自分を幸せにしてくれるとは思っていない。見るからに怪しいし、どちらかというとろくでもない男。それでいて意外と純情だったりする。ただ、彼女にとっては今、この刹那(せつな)を燃やしてくれる花火みたいな男、なんですかね。
どの人物もこれまで私の書いてきた男性に比べると、異端です。異端を書いているうちに普遍へと通じることができたらいいな、と。
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