2015.05.18 文春写真館

「のらくろ」で子供の心をつかんだ田河水泡の生い立ち

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

「のらくろ」で子供の心をつかんだ田河水泡の生い立ち

 明治三十二年(一八九九年)生まれ。一歳で母を肺炎で亡くし、伯父夫婦のもとで育った。中国画や盆栽を愛好していた伯父や、油絵を描いていた従兄弟の影響で画家を志望するようになるが、その伯父にも実父にも若くして死別し、以後多くの親戚に頼りつつ生活した。

 大正八年(一九一九年)、二十歳の徴兵で、朝鮮第十九師団羅南七十三連隊に入営。成績はよかったが画家志望で兵役免除を願っていたので、上等兵になる機会を他人にゆずり、軍用鳩通信班で、鳩の世話をしつつ隙を見て絵を描いていた、という。このマイペースな軍隊生活が「のらくろ」登場の背景となった。

 兵役を終えて帰国し、展示装飾やデザインの仕事をするかたわら、子供の頃から好きだった落語の新作を書き始めた。その挿絵も描いたことから漫画の依頼が来るようになり、昭和六年(一九三一年)に「のらくろ」の連載が始まる。

「日本じゅうどこにでも兵隊さんがあふれていた。子どもの遊びといえば戦争ごっこしか知らない時代でもある。その軍隊を背景にした漫画である上に、子どもの大好きな犬が主人公というのだから条件が揃っていた」と、当時の「少年倶楽部」編集長・加藤謙一は言う(『のらくろ漫画全集』講談社)。また、のらくろが二等卒から一等卒、上等兵、伍長……と進級していくのを、読者が自分のことのように喜んだのも人気の要因だったと述べている。

 手塚治虫は「“のらくろ”の魅力」という文章で、主人公が「一種のアウトサイダーである点が重要な役割を果たしている」と言う。まっ黒な外見と孤児、宿無しという宿命を負い、初期は「どちらかといえばペシミスティックな、人生への疑惑を一ぱい含んだ暗いもの」だったと指摘した。

 漫画の中では、殺伐とした戦場や殺し合い場面は殆ど登場しない。軍隊生活を描きながら、奇想天外なギャグや冒険にあふれ、少年の心をつかむ楽しい要素に満ちている。のらくろが戦後も、何の「お咎め」もなしに人気者であり続けてきたのもそのゆえであろう。

 だが子犬時代や入隊前のエピソードには、作者の半生を髣髴とさせる姿もある。何があっても明るく愉快に前進する、その根底には、この世で生きることをどこかで突き放した、カラリとした虚無が感じられる。

 平成元年(一九八九年)に九十歳で逝去。手塚治虫、長谷川町子をはじめ後進の漫画家に大きな影響を及ぼしただけでなく、輪郭を単純化した動物のキャラクターや、見る者を楽しくなごませるセンスは、「ハローキティ」「くまモン」などの土壌となって、今も引き継がれているようだ。

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