いつかノンフィクションを書いてみたいと、デビュー当初から思っていた。本当にあった話、実在する人々のドラマに憧れていた。小説にはない事実の力に惹かれていたのかもしれない。事実は強い。小説とは別種の迫力がある。隣の芝生は青く、地面の下にも未知なる秘宝がひそんでいそうな気がする。
約五年前、機会に恵まれて犬の保護問題に関する念願のノンフィクションを書きはじめたとき、しかし、私が実感したのは事実を伝えることの難しさだった。
捨て犬を救うボランティアたちの活動を取材し、人との出会いで幸せになった犬と、犬との出会いで幸せになった人の姿を伝える。テーマはシンプルだった。読者が「よかった」とにっこりしてくれて、そのうちの一部が「自分も捨て犬の里親になろうかな」と考えてくれたら、もうそれだけでいいと思っていた。
しかし、実際に首を突っこんでみると、捨て犬をめぐる現場は想像以上に厳しく、にっこりどころの話ではないのだった。救っても救っても減らない捨て犬の数。愛護団体同士の確執。ボランティアに対する世間の偏見。消耗し、心を病んでいくボランティアの多さ。
自らの時間と私財をなげうって犬を保護するボランティアたちは、そうそう単純な正義感のもとに駆けずりまわってはいない。やむにやまれぬ何かが彼らを動かしている。いつもそれを感じる。けれど、そこにはなかなか立ち入れない。たとえば、私が出会った中には、ボランティアを始める以前に鬱病を患ったことがあると語った女性が驚くほど多かったけれど、私はそのメンタリティに興味を覚えながらも、取材の際にそこを深く掘りさげることも、それを原稿に反映させることもしなかった。ボランティア同士の対立話などは尚のこと、周到に原稿から遠ざけた。ただでさえ世間の誤解を受けやすい彼らを守るのが自分の責任と考えていたし、闇よりも光を描くことが本来の目的だった。
犬を救う、その本質に焦点をしぼり、私は闇を封印した。書けることと書けないことを峻別し、書ける範囲で書けるかぎりを書いた。執筆よりもむしろ取材に腐心した仕事だったため、『君と一緒に生きよう』と題した本が完成したときには、小説とはまた感触のちがう達成感があった。
けれど一方で、本当にこれでよかったのか、との自問も引きずっていた。私が封じたボランティアたちの負の側面、その人間くさい複雑な心模様こそが、むしろ読者を揺さぶる彼らの熱源だったのではないか。事実の強さに憧れながら、光の当たった表層しか伝えられなかったのは、たんなる私の弱さだったのではないか。
今年4月――『君と一緒に生きよう』の刊行から約3年後、私は再び犬の問題をめぐるノンフィクション本(『おいで、一緒に行こう』)を上梓した。今回の主題は福島第一原発20キロ圏内におけるペットレスキュー、向き合う事実は手強さを増していたものの、折れずに最後までやりぬくことができたのは、作家は書いたことで悔やむならまだしも書かなかったことで後悔してはいけない、という前回の反省があったが故かもしれない。
さて、このたび『君と一緒に生きよう』の文庫化が決まり、その文庫版に収録する座談会のため、かつて取材に協力してもらった3人のボランティアと再会した。ほぼ初対面同士の彼女らにその後の活動について語りあってもらったのだが、いやもう、しゃべる、しゃべる。活動の疲れ。不況による苦悩。対人問題のストレス。計3時間半におよんだ座談会中、録音のレコーダーにも構わず飛び交う本音の数々を聞きながら、私は改めて「数年前の私、とりこし苦労なことで……」と、かつての自分の弱腰を痛感したのだった。
彼らは自分を守ろうなんて少しも思っていない。他人からどう誤解されようと、ただ、犬や猫の命を守りたいだけなのだ。
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