この人の眼が欲しいと、何度思ったか知れない。
本書のタイトルに「忘備録」とある。僕も実は忘備録のようなものを持っていて、内容は小説のアイデア、ふと思いついたこと、知りたいこと、知らないままでいたいこと、忘れたくない言葉や景色、等々。
そこに、鬼海さんのこんな台詞がある。
「だって散弾銃で撃つわけじゃないんだから。頭にないものは撃てないのよ。カメラという、機器がたまたま偶然に撮ってくれるなんていうことは、絶対にない。完全に頭で考えるものを、写真で撮る。」
新聞か雑誌のインタビューを書き写したのだろうか。出典をメモし忘れているのでわからないのだが、この言葉には写真家としての鬼海さんの生き様が集約されているように思える。
頭にあるものを、撮る。その「頭」というのは言い換えれば「眼」だ。重量感と深度を持った、あの素晴らしい写真たちを生み出すのは、鬼海さんの眼であり、ではその眼を生み出すのは何かというと、きっと日々のスケッチなのだろう。スケッチといっても線画ではない。鬼海さんのスケッチは形を持たない。しかし、ときおり文章という手段を通じて一般公開される。腕のある画家の描いたスケッチが、人や風景の本質を単純な線で写し取っているように、鬼海さんのスケッチは、「これ」や「ここ」や「この人」を、驚くほど短い文章で的確に描く。
本書はそのスケッチ集とも言える一冊で、本物以上に本物の人物、風景、におい、肌ざわりなどが贅沢に詰まっている。飼い猫のゴンが「U字の磁石のかたちになって」伸びをしたり(「夢の発熱」)、初夏の風が窓から吹き込んで「肌に季節が触れ」たり、ファストフード店で若い女の子が「電子音のように対応」したり(「気温が急激に上がる日」)、自分の撮る写真と雨との相性のよさを、「子ども時分、田植えや桜桃の収穫で雨を肌に染み込ませたせいだ」と言ってのけたり(「異郷の多弁な雨」)――淡々と綴られたその文章を追っているだけで、自分が仕事部屋やカフェや電車内にいるのを忘れてしまうほど、「世界」が五感に迫ってくる。この人の眼が欲しいと、本書を読みながら、やはり思わされる。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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