書評

カメラを持ち歩かない写真家が見た
「世界」が五感に迫ってくる

文: 道尾 秀介

『誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録』 (鬼海弘雄 著)

 それにしても、安野光雅さんや赤瀬川原平さん、藤城清治さん、小林亜星さん――芸術の世界で活躍する人たちの中には、どうしてこんなに名文家が多いのか。こっちは文章だけで仕事をしているのだから困ってしまう。鬼海さんの文章は特に好みで、『世間のひと』、『眼と風の記憶』、『東京夢譚』、『ぺるそな』、『印度や月山』……手元にある著書たちは、ページの角をあまりにたくさん折られすぎてアコーディオンのようになってしまっている。

 鬼海さんは普段、カメラを持ち歩かないらしい。何か面白いものを見つけようと、路地裏や川べりを散策するときでさえ持ち歩かないのだという。写真家といえば、いつでもどこでもシャッターチャンスを逃さないようカメラを携えているようなイメージがあるので、意外だったが、きっとこれも、スケッチの重要性を知っているからこそなのだろう。たしかに画家がいつもキャンバスを持ち歩いていたという話は聞かない。

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 本書をお読みになったあと、もし鬼海さんの写真集をご覧になったことがない方は、ぜひ手にとっていただきたい。写真そのものはもちろん、それぞれの写真へのタイトル付けの素晴らしさに、鬼海さんのスケッチ技術が発揮されていて、それも楽しめることと思う。たとえば『世間のひと』の中から、いくつか抜き出してみると――「入歯まで冷たい日だという老人」、「歩幅の小さい女性」、「今では持病で、薬を食べていると話す元ビル清掃員」、「花粉症かもしれないという人」、「銀ヤンマに似た娘」。

 これらのタイトルが写真と一体化したときの化学反応を、ぜひお楽しみいただきたい。

誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録
鬼海弘雄・著

定価:本体1,850円+税 発売日:2015年02月23日

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