大勢のイタリア人を連れて歩く。
出身地の違うイタリア人たちを、漏れなく、まとめて、連れて歩く。
それがどれほど大変なことなのか、田丸さんについて旅をして、よくわかった。
時間にも気持ちにも、少しでも隙間ができると、たちまちそこから抜け出して、どこかへ飛んでいってしまうような人たちなのである。では、気をそらさせまい、と一括りにして引っ張ろうとすると、いっせいに前脚を上げていななく。
イタリア人は、「『みんなと同じ』であることを忌み嫌う」(本文P.23)のだ。
大胆に、繊細に。放っては、引き寄せて。
田丸さんの緩急織り交ぜた対応は、職人芸だった。
客の言い分を右耳で聞いてなだめつつ、左耳から拾い上げる質問を手際良く片付けていく。南部の老夫婦と北部の若いカップルが相席にならないように差配しながら、食堂の隅に座るバスの運転手を労い、すれ違いざまに給仕に、魚好きと肉食の振り分け配膳を指示する。
「そういえば」
飽きた顔を見つけるや妖しく微笑み、艶っぽい小話を囁いたりした。男性客の渋面は喜色満面へと変わり、しかし品を損なう寸前で、田丸さんはすっと黙ってしまう。肩すかしを食わされた男性は下卑た冗談を呑み込んで、妻に横目で笑われている。
業務時間中もそうでないときも、田丸さんは気を抜くことがない。
彼女の補佐をするのが任務なのに、不慣れな私はオロオロするばかりだ。これからチェックアウトするホテルで、不要なベッドメイキングにとりかかり、またしても遅刻寸前である。
するとさっと田丸さんが現れて、手早くベッドから掛布をめくり、タオルはまとめ置くと、
「これでいいのよ」
靴音と衣擦れの音を残して、階下へ行ってしまう。
前日とは異なる、ハイヒール。今朝のタイトスカートには深くスリットが入っていて、後ろ姿のキレもいい。
常に田丸さんが気を張っているのは、全方位から彼女を観ているイタリア人の目があるからだ。
人生あらゆる場面は、「『見つつ、見られつ』の美の競演の場であり、互いの美意識を研ぎ澄ます場」(P.152)であることを、田丸さんはないがしろにしない。
美しく艶やかなことは武器であり、礼儀なのである。