ちょうど、志水辰夫による現代ものの短編をまとめた作品集『うしろ姿』には、めずらしく著者による「あとがき」が掲載されていた。「本が売れなくなった」という文章ではじまり、途中から話は、小説や出版界だけのことではないと展開している。
考えてみるとこの二十年間は、従来の価値観が根底から揺さぶられてきた歳月でもあった。社会が複雑化し多様化してくるとともに価値観まで細分化し、唯一、絶対といえるものがなくなってしまった。それまで不沈艦と思われていたものが、あっさり沈んだり傾いたりする例が身近でいくらでも起こりはじめた。(中略)むしろこれまでの順風満帆すぎた社会のほうが異常だったのだ。
どうも喜平次が語った黒船体験と作者が述べるこの二十年の劇的な変化に対する実感はほとんど同じもののように思われる。さらにこの「あとがき」は次のように続く。
わたしたちの時代は終わろうとしている。自分たちのたどってきた道とはいったい何だったか。それは経済だけを突出させてきた道にほかならなかったが、豊かになることが最善だと信じて生きてきたのだからいまさらとやかく言える資格はない。手探りしながら生きてきて、いまたそがれに向かって歩いていることを自覚するだけである。
この『うしろ姿』を刊行したあと、志水辰夫は一連の時代小説を手がけるようになった。〈幕末を描きながら、江戸に時代を借りた現代小説でもある〉とは、すなわち本作にもまた、現代に生きるわれわれの戸惑いや思いがこめられているということだ。
もはやこれまでどおりでは通用しなくなった現代人とは、黒船体験をしたあとを生きる江戸の人たちに通じている。ひとつの時代が確実に終わろうとしているのだ。だが、たそがれをすぎ、さらに夜が去れば、やがて朝がくる。終わりとは始まりでもある。ならばそのたそがれと夜のあいだ、いかに身を処すればいいのか。
本作を読み終えて、なにか明朗な希望の予感を覚えるとすれば、まさに、いまを生きる人々が読むべき小説として描かれているからではないか。普遍的な物語の骨格を持った時代小説であると同時に、現代に通じるさまざまな意匠がこらされているばかりか、それだけにとどまってはいない。この『夜去り川』は、終わりつつある時代の岸辺から、あたらしい時代へとむかう渡し船のごとき小説なのである。
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