本作が単行本で刊行されたとき、作者の志水辰夫と文芸評論家の北上次郎による対談がなされた。文藝春秋のPR誌「本の話」に掲載され、現在は「本の話WEB」で読むことができる(http://books.bunshun.jp/articles/-/3061)。興味のある方は、ぜひご覧になっていただきたい。
その対談によると、作者は時代小説の新作を構想するにあたり、まず最初に舞台となる土地を決めるのだそうだ。土地の性格から、そこで暮らす人々の姿が決まってくる。
本作の場合、桐生から山ひとつ越えた土地、渡良瀬川近くの村が舞台である。そこでは、春日屋という大きな機織り問屋があり、店を仕切っているのは三代続いた女主人だ。村の機織りたちを含め、織物によって栄えた土地を根本から支えているのは名もなき女性たちなのである。黒船来航により、ますます武家社会が混迷を深めていくばかりの幕末にあって、なにかあたらしい時代の到来を示しているかのようにも見える。
本作が単行本で刊行された時の帯には、本文から次のような箇所が引用されていた。
喜平次自身、黒船がやってきたときの騒ぎをこの目で見ている。
そのとき受けた衝動は、いまだに忘れることができない。今日は昨日の常ならず、なにもかも一瞬にして変わってしまったのを、ことばでは言い表すことのできない稲妻のような閃きとして、全身で察知した。それは、これまで自分たちはいったいなにをしていたのだろうという言いようのない空しさと、無為に過ごしてきた過去への憤りにも似た悔いだった。
さらに、この文章の少し後には、こんな独白がある。
あの経験というものがなかったら、ここで渡し守になることも恐らくなかっただろう。あのときまでの自分だったら、これほどやすやすと身を落とすことはできなかったと思う。渡し守になってよかったと思っているわけではないが、渡し守に身をやつしたことで自分を見直すきっかけにはなった。このあたらしい経験が、さらにあたら しいものの見方ができるきっかけになってくれるかもしれない。いまはその途中なのだ。
先に紹介した志水辰夫と北上次郎の対談によると、作者は、幕末を描きながら「江戸に時代を借りた現代小説でもあるんです」と語っている。