さてその結末、意表をつくどんでん返しは、この第二部を読んでいただくとして、ここではミステリーの謎解きよりも全体を通して感じられる著者の細部へのこだわりに注目したいと思う。ミステリーに限らずノンフィクションについても言えることだろうが、この細部への執着こそが、私にはとても重要なポイントに思われるからだ。特に山をテーマとした場合、地図、装備、行動記録、登攀(とうはん)技術などの記述はことさら正確さを要求される。その部分の手抜きは、読む側をいっぺんに白けさせてしまうからだ。
しかし、著者の姿勢は細部にこそこだわり続ける。入念な現地取材、地図・概念図の正確さと見やすさ、登山届・死体検案書・死亡届などの書類すべて、そして奥付の通し番号に至るまで細かな配慮が行き届き、側面からこの小説をがっちり支えているのである。さらに驚かされるのは、時子や千春がパーティのメンバーと面談・会食する場所にも心くばりされている点だ。実在する松本市内の喫茶店やレストランを、しかも雰囲気や相手によって巧みに使い分けている。その所在を知っている人には、この推理小説が一段と親近感と現実味を喚起させてくれるに違いない。
山を舞台にしたミステリーの特異性はどこにあるのだろうか。
登山は大きな広がりをもつ自然そのものが活動の舞台となる。天候にさえ恵まれていれば、実に快適な山歩きを楽しめる一方で、ひとたび荒れると、手のつけようのない悪天に生死の境を彷徨(さまよ)いかねない。そのときの気象条件によって、極端に状況が変わってしまうのが山なのである。
特に季節の変わり目、春と秋は気象条件によって冬山にも夏山にもなり得るのだ。事実、1989年10月8日、北アルプス・立山で起きた中高年登山者の大量遭難事故を思い出してほしい。前日までの麗らかな秋山の天候が急変し、吹雪が吹き荒れる冬山の様相を呈し、8人が亡くなった。また夏山といえども、2009年7月16日、大雪山系・トムラウシ山で18人のツアー登山者のうち8人が低体温症で死亡するという遭難事故も起きている。山は、気象の予測が難しく、さらに激しく変化することがあり、偶然に左右されがちだ。
現に今回の雪彦の「遭難」も、深い霧が欠かせない要素となっている。視界を閉ざすほどの濃い霧が同行者の姿さえも消してしまった。まるで密室殺人と変わらない状況が創作できてしまう。このように比較的容易に一人きりの空間が作れ、しかも犯罪の立証やアリバイの成立が難しいという山の特異性。さらに登山に対する距離感と億劫さが、「登山者に悪人はいない」という世間一般の風潮と相まって密室性を高めてしまう。そこに山のミステリーのおもしろさと難しさがあるのではないだろうか。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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