徹もまた、バブルの恩恵を受けず「今が一番いい時期だ」と幼いころから思ってきた世代である。ただ、生まれ育った土地から離れるきっかけを持たず、両親と兄とで暮らしている。どこにでもいるサッカー少年で、抜群に上手いわけではないけれど、仲間には恵まれている。中肉中背、目立つ存在ではない。
ほかの土地と違うのは、敦賀には原子力発電所がある、ということだ。福井県の嶺南と呼ばれる若狭湾を囲む海岸線は、原発銀座の異名を持つほどたくさんの原発が林立している。敦賀原子力発電所は福井県で初めて開設された発電所で、敦賀半島の北端に建ち、日本原子力研究開発機構の廃炉になった新型転換炉「ふげん」が隣接しており、高速増殖炉「もんじゅ」や関西電力の美浜発電所も近い。敦賀一号機は一九七〇年三月十四日、大阪万博の開会式の日に営業運転を開始し、万博会場へ初送電したことでも知られる。多分、徹の生まれたのはその前後だ。
反対運動も盛んであり、一九七九年に発表されたルポルタージュ、堀江邦夫の『原発ジプシー』(現代書館・現在『原発労働記』講談社文庫)の中でもこう記されている。
―敦賀原発前の浦底湾には地元の漁師の船着き場がある。が、「そこには絶対に近づかんでください。というのはですねえ、漁師の中にはカチカチ頭の原発反対者がいまして、以前、労働者の一人がちょっと話しかけただけで、日本原電さんにどなりこんできたことがあったんですよ。そこ(船着場)には今、金網が張ってあります。くれぐれも近づかんようにしてください」。「金網」「近づかんように」――これでは原発反対者は、まるで動物園の猛獣扱いだ。―
徹も幼いころから、推進派と反対者の諍いはずっと見てきたはずだ。原発によってもたらされる恩恵と、来るかもしれない破滅の日が大人たちで議論される。アメリカのスリーマイルやチェルノブイリの事故が起こり、危機感を煽られても、景気が上向きになり金回りがよくなれば、生まれたときからそこに存在する原発が、危険なものだと肌で感じることはなかったに違いない。
放射能が恐ろしい、と言われても目に見えないし匂いもしない“それ”をどう怖がっていいかもわからない。唯一、各地の原子力発電所の点検に行っている大越のような労働者から、わずかな知識を得るだけだ。
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