書評

『光あれ』解説

文: 東 えりか (書評家)

『光あれ』(馳星周 著)

 点検の時期になると労働者が大挙して現れ、街が活気づく。きれいに舗装された道路には車が溢れかえり、夜の歓楽街では嬌声が響く。周期的にやってくる、敦賀のような原発の町だけにおこるお祭りも、生まれたときから経験していれば何も新しいことはない。思春期を越え、恋愛、結婚をして子供を持つ。寂びれていく町でやり場のない怒りに苛まれながら、それでも日々の糧を稼ぐしかない。静かに描き出される焦燥感は胃が痛くなるようだ。

 原発で働くか、恩恵にあずかる仕事につくか、あとは農業か漁業しかないような土地に、電力会社や日本政府は、狙いすまして原発を建設した。絶対安全とお題目だけ唱えていれば、厄災など無いかのように。

 小説家は預言者ではないかと、時々思う。あるいは言霊を操るシャーマンか。本書の一作目がオール讀物に掲載されたのが、二〇〇九年の八月号。続いて十二月号、二〇一〇年六月号と十月号。最後の「光あれ」はなんと二〇一一年の三月号だ。多分脱稿したのは、その年の一月末か二月の初め。ようやく正月気分の抜けた頃だろう。そのせいでもないだろうが、タイトル通り、天使の梯子と呼ばれる、海上に雲間から光が差し込むような希望が見え隠れするラストになっている。

 しかしそれからわずか数週間後、未曽有の天災、東日本大震災が起こってしまった。

 震災や津波の直接の被災者以外の日本人ほとんどが、テレビやパソコンの前にくぎ付けになり、世界の終りのような映像に見入り動けなくなった。地震だけの被害なら、阪神・淡路大震災の方が大きかったかもしれないが、「津波てんでんこ」の言い伝えどおり、大きな地震が来たら、人のことなど構わずに山に登り津波から逃げた者だけが命拾いした。その上、福島第一原子力発電所の爆発だ。政府や電力会社のPRを鵜呑みにし、盲信していた安全神話が、ガラガラと音を立てて崩れていった。徹が暮らす敦賀の人々は、あの様子を見て何を思っただろう。原発の町に暮らす人だけでなく、その隣町にも当然被害が及ぶと言う、当たり前のことに改めて気づかされたのだ。

 この作品を書くために敦賀を訪れて何日か暮らした馳星周も驚いただろう。小説の中に書いたセリフを反芻したかもしれない。

「電力会社は事故は絶対に起こらへんと言うとるやないか」

「どんなことにも絶対はあらへんよ」

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光あれ
馳 星周・著

定価:620円+税 発売日:2014年02月07日

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