福島第一原発の周辺住民は、着の身着のままで避難し、あれから三年近く過ぎても収束の目途は立っていない。震災前のように無邪気に「原発は絶対に必要だから、安全に作られている」というお題目を信じる人はひとりもいない。電力会社のお粗末さも暴露されてしまったが、福島の原発まわりの町は、かなり長い間ふるさとへ帰ることは出来ないだろう。子どもたちが大人になり、まったく新しい町を作るつもりで戻るしか町の再生はあり得ない。原発のある町は、危険がすぐそこにあるという恐怖を目の当たりにした。この小説は終わっていない。
この事故をひとつの契機として、ただ漠然と役場や電力会社の言うなりになるのではなく、官民一体化して活性化を行おうとする努力が始まっている。
二〇一三年七月に出版された『希望学 あしたの向こうに 希望の福井、福井の希望』(東京大学出版会)の中で「原発に依存しない嶺南の未来図」として、共生すれども依存しない関係の提言が行われている。
中心になって議論した地元商工会青年部の面々にとって、原子力発電所があることは既定の事実であり、電源三法交付金は不可欠のものであった。ちなみに敦賀市が交付された金額は、一九七四年から二〇一〇年までの累積で四百六十二億円余りになる。その金に依存することなく、町のアイデンティティを造ろうという機運が、震災と原発事故のあと湧きあがってきているようだ。
デビュー作『不夜城』や映画にもなった『漂流街』などノアール小説の書き手として人気の馳星周だが、『光あれ』の前作『約束の地で』や『淡雪記』、『弥勒世』あたりから東京ではないどこかの地方で暮らす特別でない若者たちを主人公にした静謐な小説を書き始めたような印象を持っている。本作もいくつかのインタビューを受けて、出身である北海道の田舎町を出たかった自分の気持ちと、同級生が地元に残る気持ち両方が四十歳を過ぎて分かるようになった気がする、と答えている。
拳銃や刃物は登場せず、殺し合いもヤクザの抗争もない。あるのは生活に倦んだ毎日だけ。それは私たちの普通の生活に近いだけに、かつての自分や友だちの姿に物語を重ねあわせてしまう。
あの震災から日本人の意識は間違いなく変わった。相原徹もその家族も、周りの友だちもきっと生き方を見直しているだろう。この小説に続いている、現在とそして未来は暗いものではないと思いたい。
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