三木のり平といえば、「江戸むらさき」「ごはんですよ!」などの桃屋のテレビCMだ。のり平直筆の自画像アニメが、色々なキャラクターに扮するショートコント仕立てで、本人亡き後も息子が引き継いで続いている人気シリーズ。キャラクターは三百以上にもなるという。
大正十三年(一九二四年)、日本橋生まれ。母は待合「芳柳」を営み、父はその客でありパトロンだった。小さい頃から映画に歌舞伎、新派、喜劇、オペレッタと、様々な舞台を身近に見て育つ。
絵が上手だったので、日本大学専門部芸術科に入学し、美術学生となるが、学生劇団の舞台美術を引き受けたことがきっかけで役者の道へ。
戦後はお金のために進駐軍慰問の仕事を始め、三木鶏郎グループのメンバーとなり、NHKラジオ「日曜娯楽版」がヒットしたことから喜劇俳優として歩みだした。
五十年代以降は映画にも進出。森繁久弥主演の「社長」シリーズや「駅前」シリーズをはじめ、数多くの喜劇に出演してその芸達者ぶりを披露、一躍売れっ子に。安来節にパントマイム、フラダンス等々、いずれも見事にこなしているが、役柄は一本調子の「安っぽい三下どころ」が多く、本人も映画出演はお金のため、と語っている。
後年は今村昌平の「楢山節考」「黒い雨」や向田邦子の「あ・うん」などで、さりげないが説得力のある演技で脇をかため、テレビでも様々な役で活躍した。
写真は「週刊文春」平成十年(一九九八年)六月十一日号の「阿川対談」時のもの。「舞台はお客さんがうーんと来てね、ワーッと受けてね……、それはやっぱり舞台のほうがいいです。特に喜劇は」と言っている。
一方、翌年刊行の『のり平のパーッといきましょう』(小学館)では、「いま、こうやってさ、新劇の舞台に立つことは、とってもうれしいことだよ。それも、仲間がいてくれてさ。アンサンブルで芝居を一緒につくり上げていくって感じが好きなんだ」とも言っている。
喜劇であれ新劇であれ、舞台をこよなく愛したのり平だが、「喜劇役者の最後って、みんな渋くわき役に回ってて寂しいんだよ」(阿川対談)と言いつつ、翌平成十一年に七十四歳で他界した。
だが今もなお、自画像「のり平」は桃屋のCMで元気に飛び回り、もと美術学生ならではの「永遠の役者」ぶりを発揮している。