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文学とは一方的に与えるもの<br />第152回芥川賞 小野正嗣 受賞のことば 全文

文学とは一方的に与えるもの
第152回芥川賞 小野正嗣 受賞のことば 全文

文:小野正嗣

『九年前の祈り』 (小野正嗣 著)

 

 与えられ受け取ったものを、書き手は作品のなかに出し切ります。しかし作品が本となって読者と真に出会うためには多くの人のお力が必要です。

 講談社、「群像」編集長の佐藤とし子さんと出会えたこと、そしてご一緒できたことの幸運に深く感謝せずにはいられません。佐藤さんは、同編集部の北村文乃さんとともに、この作品に本当に多くのものを与えてくださいました。

 素敵な装幀で、この作品を包んでくれた敬愛する友人、ガスパール・レンスキーにも深く感謝します。

 本の出版流通に関わるすべての人に感謝します。なかでも、読者といちばん近いところにいる書店員さんがいなければ、作品は誰にも届けられません。そのようないちばん大切な真実を誰よりも大切にされてきたのが、ここにいらっしゃる西加奈子さんです。受賞会見の最後で西さんは「みなさんに本屋さんに行ってほしい」と力強くおっしゃった。その言葉に心を打たれたのは、僕だけではないでしょう。西さんのような素晴らしい方と受賞の機会を共にできることを心から光栄に思います。

 惜しまずにすべてを与える、ということが、文学作品の本質にあるとしたら、そばにいるだけで何かを与えられ、励まされる気がするという意味で、「文学作品」そのものであるような二人の人物に出会えたことが、僕にとっての最大の幸福だと言うことができます。

 一人目は、僕の大切な先生、柴田元幸先生です。学生時代、先生の授業は僕にとって、本当に受け入れてもらっていると感じられる「居場所」でした。その後、柴田先生が責任編集を務められる雑誌に、文字通り「書く場所」を与えてもらいました。二十年前初めて小説を書いて小さな賞をもらったとき、誰にも言わなかったのに、柴田先生のほうから「小野くん、今度読ませてくれる?」と声をかけてくださったのです。その時の驚きと感動は一生忘れないでしょう。

 それから、フランスの詩人クロード・ムシャールさん。留学中、オルレアンにあるクロードのうちに五年近くも居候させてもらいました。素晴らしいパティシエでもあるクロードからは、おいしいお菓子もたくさん作ってもらいました。寝食ばかりでなく、クロードからは本当にかけがえのない大きなものを与えられました。もうしばらくするとマグノリアが美しい花を咲かせる大きな中庭で、クロードと朝から晩まで文学の話をしました。台所でクロードがお菓子を作るのを手伝いながら、ロワール川にかかる古い橋を渡りながら、街中を歩きながら、パリへの列車の行き来のなかでも、来る日も来る日も、語り合い、ひなどりが母鳥から口移しで餌を食べさせてもらうように、クロードから文学を与えてもらいました。

 心から尊敬するその二人の恩人は、今日この場におりません。クロードはフランスですし、柴田先生もいまアメリカの大学に滞在中です。謙虚なお二人は、直接自分たちに賛辞と感謝が捧げられるのがいやで、この場にいない状況を選んだかのようです。

 そして、この場にいてほしかったのに、いない人がもう一人おります。その人は、柴田先生とクロードとはまったくちがう形で、僕にとっては文学そのものでした。出稼ぎで数年間離れた期間を除けば、ずっと生まれ故郷である大分県南部にある、リアス式海岸の小さな入り江沿いの集落に暮らしていたその人は、僕にとっては郷里の土地そのものでした。

 それは昨年の十月に亡くなった、兄の史敬(ふみたか)です。

 僕は兄にずっと与えられてきました。お人好しで、不器用で、子供のころ、みんなからからかわれていました。何をされても怒らない。人の悪口は言わない。勉強はできない。足は遅い。野球は好きだったけれど下手すぎて、試合に一度も出させてもらえない。周囲の人たちには悪気はなかったでしょうが、やや軽く見るようなところもあったでしょう。兄をそばで見ていて、ときに歯がゆく感じながら、僕はこの人は「奪われている」と思いました。そして兄から「奪っている」人間の筆頭が僕ではないか、と怖れてもいました。小さな頃から兄は僕に対して拒絶するということが一切ありませんでした。読んでいる漫画でもテレビのチャンネルでもお菓子でもすべて弟に譲るのです。

 でも兄がいなくなって、わかりました。「奪われていた」のではなかったのです。「与えていた」のです。地域の子供たちの野球の試合を見に行っては、大きな声で応援する。そして子供たちに声をかけ、飲み物やお菓子を買ってあげる。近所の子供たちがよく兄のところに遊びに来ていました。僕はたかられているのではないかと思っていたのですが、そうではなかったのです。自分は多くを持っていないかもしれないが、それを惜しみなく与えることが何よりも嬉しかったのです。足の悪い年寄りの代わりに、朝早くから墓参りに行っていました。兄が死んだとき、通夜にも葬儀にも、過疎の集落のどこにこんなにいたのかというくらいたくさん人が来てくれました。足の悪い年寄りが足を引きずりながら仏壇の兄に会いにやって来ました。

 兄は拒絶することができなかった。僕はそこにベケット的な優しさを見ます。再生するとわかっていても、それでもミミズを傷つけないようにシャベルを動かす優しさです。富と栄誉とは一切無縁だった兄と重ねられても、自分に降りかかった名声を悪運であるかのようにとことんいやがったベケットは怒らないはずです。兄は「ないないづくし」だったけれど、自分は「否」とは言わず、人を受け入れ、ひたすら与えました。

 文学は僕にとってそういうものです。一方的に与えるのです。こちらから決して働きかけることはできません。小説の登場人物が死ぬとき、読者である僕がいくら話しかけようが泣こうが、小説世界の人物たちは答えてはくれません。兄もそういう世界に行ってしまいました。

『九年前の祈り』は、間近に迫った兄の死が、僕に書かせた小説です。この小説で、このようなありがたい賞をいただきました。

 兄は生前、弟に与え続けたのに、それでもまだ足りないと思ったのか、人生の最後に、自分が「いなくなる」ことによって、自分の不在そのものによって、なおも弟に与えようとしたのであり、実際に与えてくれたのだと思います。

 この賞を兄に捧げます。

 ありがとうございました。


この挨拶文は3月7日に発売された「群像」(4月号)にも掲載されています。

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『九年前の祈り』 (小野正嗣 著) 講談社

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