- 2016.06.24
- 書評
ノーベル文学賞作家の数奇な人生の謎
文:井上 里 (訳者)
『ジャングル・ブック』 (ラドヤード・キプリング 著/金原瑞人 監訳/井上里 翻訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
こうしてはじまったキプリングの小説家としての人生は、大きく三つにわけることができる。インドで新聞社に勤めながら創作をしていた初期(八二年から九二年)、世界中を旅し、結婚し、アメリカで暮らしていた中期(一八九一年から九六-七年)、その後、ロンドンに落ち着いた後期(九六-七年から没するまで)だ。初期には『高原平話集』、『三銃士』“Soldiers Three”などがあり、中期には、『多くの計略』、そして『ジャングルブック』、『セカンド・ジャングルブック』、『勇ましい船長』“Captains Courageous”、後期には『ストーキーと仲間たち』“Stalky & Co.”、『キム』“Kim”、『プークが丘の妖精パック』“Puck of Pook's Hill”、『なぜなぜ物語』“Just So Stories”がある。初期の作風は皮肉っぽく、少し説教めいたところもあり、後期の作風は写実性がより強くなる。そして本作『ジャングルブック』が生まれた中期、キプリングの想像力はひときわ豊かになる。なにしろ、モーグリの物語が生み出されたのは、アメリカ北東部のバーモント州だ。季節は冬で、仕事場の窓からは雪がみえた。新天地ではじめたばかりの新婚生活の最中、キプリングは、暑い国のジャングルで勇ましく生きていく少年の物語を書いたのだ。
生まれ育った環境にも影響されたのか、キプリングは清教徒的な規律正しさを常に失わない、勤勉でまじめな人物だった。その勤勉さは、執筆のスピードにも、そしてなにより作風にも表れている。幾度となく“帝国主義”と揶揄されたのは、この、個体より全体を優先させる作風のためだろう。当時、キプリングの作品が称賛されたのは、イギリス社会の雰囲気も大きく関係していた。斬新な形式や文体もさることながら、キプリングの作品の一面は、大英帝国に住む読者の愛国心を盛り上げるのに役立った。それだけ当時のイギリス人の愛国心は強かったということだ。だがキプリングは、そのような人々に囲まれて暮らしながら、イギリス人作家としてははじめて、母国を中からではなく外からの視点で描いた。
その視点ののびやかさを証明するかのように、物語そのものは、時代の変遷などおかまいなしに、むしろ時を経るごとに、活力と魅力を増している。キプリングは、持ち前の勤勉さでもって、物語の骨組みをしっかりと――物語が元気いっぱい暴れても壊れてしまわないように――作りながら、その中で暮らす生き物たちの関係については、決して限定的ではなかった。たとえば、力がものをいうジャングルで、人間のモーグリは動物たちの主となる。だが、モーグリが“支配者”となるかといえば、決してそうではない。モーグリに忠実な黒ヒョウのバギーラさえ、「自分の耳を信じていれば、人間はどの種族よりも愚かだとわかる」などという。鼻つまみ者として描かれるサルのバンダーログは、しかし、〈バンダーログの歌〉で、自由に生きるよろこびを高らかに歌ってみせる。強者であるモーグリと、のけ者であるバンダーログは、たびたびその姿形が似ていることが指摘されるが、そこにもまた、限定的ではない関係が示されている。どのような立場から抑え込もうとしても容易な解釈を許さない、力強く繁茂する物語の力こそ、『ジャングルブック』の魅力だ。
テキストには二〇一五年刊の“The Complete Mowgli of the Jungle Book Stories”(Dover Publications)を使用した。翻訳にあたっては多くの方々の訳書や著書を参考にさせていただいた。固有名詞に関しては、イギリスの英語の発音になるべく近い表記を心掛けた。
二〇一五年十二月二十日
(「訳者あとがき」より)
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