- 2016.06.24
- 書評
ノーベル文学賞作家の数奇な人生の謎
文:井上 里 (訳者)
『ジャングル・ブック』 (ラドヤード・キプリング 著/金原瑞人 監訳/井上里 翻訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
本書は、Rudyard Kipling:“The Jungle Book”(一八九四年)と“The Second Jungle Book”(一八九五年)に収められているモーグリ少年を巡る話の翻訳だ。『ジャングルブック』というと、ディズニー映画の影響もあいまって、モーグリを主人公とした長編をイメージされがちだが、元々は二冊の短編集である。詩を含む三十の話によって編まれている。モーグリが登場する短編は、そのうち八つしかない。本書はその八つの短編と、番外編の「ラク」を抜粋した、いわゆる“モーグリブック”だ。日本国内でも海外でも、『ジャングルブック』といえば、この“モーグリブック”を指すことが多い。最後の「ラク」(一八九三年)という話だけは、“The Jungle Book”より前に書かれ、別の短編集『多くの計略』“Many Inventions”に収められている。キプリングの作品にしては珍しく恋愛が描かれていることもあり、ほかの短編とは雰囲気がちがう。
また、三章と四章は物語の時系列が逆になっているが、これは、『ジャングルブック』の作品をそれぞれ独立した短編として印象づけようとした作家の工夫だろう。テキストに用いた原書は、このふたつの章が時系列に沿って並べ替えられていたが、ここに限っては作者の意図を汲み、元々の『ジャングルブック』の並べ方に従った。
作者のラドヤード・キプリングは、一八六五年、英領インドに生まれた。父親のジョン・ロックウッド・キプリングは、ボンベイにある美術学校の建築彫刻科の教授として、インドに赴任してきたばかりだった。母親は有名な美人四姉妹“マクドナルド・シスターズ”のひとりだ。姉妹はいずれも著名人のもとに嫁いでいる。このようにキプリングは、大英帝国が栄華を誇っていた時代に、植民地のひとつであるインドで、文化的にも経済的にも恵まれた環境に生まれた。キプリングにとって、大国が重んずる“制度”や“規律”は、生まれた時からなじみぶかいものだった。七歳になると、妹と一緒にイギリスのおばのもとに預けられる。おばは頭の固いキリスト教徒で、キプリングにとって、この生活は苦痛だったという。しかし、このとき植え付けられた清教徒的生活態度は、先述の“制度”や“規律”と共に、のちのちまでキプリングの創作姿勢と作品に影響を与えることになる。その後、一種の軍隊学校に入学し、ここに五年間通う。この学生生活は、キプリングにとって楽しいものだった。持ち前のユーモアと話術といたずら好きな性格のため、教師陣からはさておき、少年たちからは人気が高かった。
十七歳になると、キプリングはインドにもどり、父親のつてで〈シヴィル・アンド・ミリタリー・ガゼット〉紙で記者見習いをはじめ、八九年まで記者として働いた。忙しい仕事のあいまを縫って、地方の新聞に詩や短編小説を発表しはじめると、たちまち人気作家となった。二十一歳のときにはすでに、インドでラドヤード・キプリングの名を知らない者はいなかった。出世作『高原平話集』“Plain Tales from the Hills”も、この時期に書かれたものだ。八九年、ロンドンに渡って執筆に専念する。翌年に〈ロンドンタイムス〉紙で取り上げられると、イギリスでも、インドに劣らない名声を博するようになった。