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『散歩とカツ丼』を読んで

『散歩とカツ丼』を読んで

文:辰濃 和男 (ジャーナリスト)

『散歩とカツ丼』 (日本エッセイスト・クラブ 編)


ジャンル : #随筆・エッセイ

 本書を読みながら久しぶりに本を読むたのしさを味わった。「ノートに書き写したい言葉」にめぐりあうことが多かった。

 写真家の星野博美さんは、高知の力にあふれた女性、はちきんについて書く(P147)。はちきん女性は亭主のナマイキをやっつける時、こういうそうだ。 「おんしゃあそれだけ稼ぎゆうがか(あんたはそれだけ稼いでんのか)」

 強い言葉だ。あの寅さんなら「それをいっちゃあ、おしめえよ」とぼやきながら消えていったことだろう。

 エッセイスト、植松黎(れい)さんの「糠漬けにかぎらず、漬物の味は塩加減もさることながら、作り手の『幸福加減』で良し悪しが決まる」(P75)は名言だし、作家、塩野米松(よねまつ)さんの文章(P72)に出てくる「炭焼きの弟子は、(親方に)叱られ、『違う』と怒鳴られながら自分の感覚を親方に近づけたのである」もいい。

 全盲の父(鍼灸師)のことを書いた主婦、髙橋暁美さんの作品(P94)は人を静かな気持ちにさせてくれる。

 子どものころ、眠りにつく時、父親はこんな呪文をとなえた。「ネルゾネダ/タノムゾタルキ ハリモキケ/ナニゴトアレバオコセヤノムネ(寝るぞ根太/頼むぞ垂木 梁も聞け/何事あれば起こせ屋の棟、の意味)」

 夜、父はさまざまな音を出していた。点筆の音。算盤の音。「点字毎日」を読む時の指が紙面をすべる音。そんな「父の音」を聞きながらやすらかに寝た。

 妻に先立たれた父は九十二歳まで生きた。子ども返りをしていた晩年の父にどれほどのことをしてあげたかという悔いが残る。 「六十代後半の今、父の数々の音が、切に懐かしい。(略)静謐な部屋に、私が父の音の中で最も好きだった、点字の紙面をすべる父の指の音が聞こえてくる気がして、深い眠りにつくのだ」

 この結びは心に残る。

 エッセイでは体験の深さがものをいう。自分の体験を反芻し、心に蓄える。上っ調子の体験ではなく、全身全霊で体験を受けとめている。そういう姿勢がこの作品にはある。「いい体験ありき」が大切なのだと思う。

  ジグソーパズルの断片を組み合わせるようにして、全作品を読んだ。五十一の断片が組み合わさり、抽象画が生まれた。その抽象画は「人間って、そう捨てたもんじゃないんだね」といっているように見えた。

散歩とカツ丼
日本エッセイスト・クラブ・編

定価:1890円(税込) 発売日:2010年08月27日

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