2011.10.19 書評

古代天皇陵の9割は別人!?

文: 矢澤 高太郎 (元読売新聞文化部記者)

『天皇陵の謎』 (矢澤高太郎 著)

――古代の天皇陵というと、まず大阪府堺市の仁徳天皇陵を思い浮かべる人が多いのではないかと思いますが、言うまでもなく仁徳陵以外にもたくさんあるんですよね。

 ええ、初代神武から第124代昭和まで、宮内庁はすべての天皇の墓を定め、管理しています。今回テーマとした、初代から第42代文武までの古代天皇陵に限れば、合わせて40基あります(皇極と斉明〈さいめい〉は同一人物、持統は天武との合葬なので、陵の数は代数よりも2つ少ない)。

 ところが、その40基のうちの約9割は被葬者が怪しい。ほとんどの研究者が、そこに陵名の天皇が葬られているとは見ていないんですね。

 そもそも初代神武から第9代開化までは実在したこと自体が疑わしいのに、天皇陵だけは定められています。自然の丘としか考えられないのに、天皇陵とされているものもあるくらいです。

 考古学的事実と食い違う天皇陵の代表は、第26代継体天皇陵と言っていいでしょうね。現在の継体陵は、大阪府茨木市の太田茶臼山古墳とされていますが、外堤より出土した埴輪(はにわ)の年代などから、この古墳は継体が没する百年くらい前のものということが分かっています。ということは、継体天皇の墓であるはずがない。

 では、本当の継体陵はどこにあるのか?最も有力視されているのは、現継体陵から東北に約1.5キロ離れた高槻市の今城塚(いましろづか)古墳です。度重なる発掘調査で考古学的成果が積み上げられ、ほとんどの学者が、今城塚こそが継体陵だ、と断定しています。

――であれば、今城塚古墳を継体陵として定めなおせばいいのでは?

 まっとうに考えればそうだと思うのですが、宮内庁は現在の治定の矛盾を認めようとはしないんです。継体陵に限らず、明らかに被葬者を誤認していると思われる陵に対しても、治定替えの検討さえしません。旧慣墨守なんですね。誤って定めた現天皇陵には学術調査さえ許さず、本当の天皇陵には見向きもしないで、荒れるにまかせているんですから、これは古代の天皇に対する冒涜ですよ。

 そもそも宮内庁の管理の実態は、あまりにも閉鎖的、前近代的です。一切の立ち入りが厳禁され、秘密のベールに閉ざされた現状は、いかに皇室の祭祀の場とはいえ、学問の進歩を阻害するだけでなく、皇室と国民とを離反させていると言うほかありません。

天皇陵の謎
矢澤高太郎・著

定価:840円(税込) 発売日:2011年10月20日

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