――天皇陵を探ることで何が見えてくるのでしょうか?
日本という国がどうやって誕生したのかを考える手がかりとして、古墳、とりわけ天皇陵ほど重要な遺跡はありません。文献史料の欠落を補って、国家形成期のわが国の姿を、さまざまな角度から明らかにしてくれます。
しかし、真の被葬者は誰なのか、いつ誰の手で造られたのか、内部に何があるのか、どういう経緯で天皇陵に指定されたのかなど、陵をめぐる謎があまりにも多い。研究する先生方の説もさまざまです。今回、その深く複雑に入り組んだ謎に、蟷螂(とうろう)の斧ながら、本書で挑んでみたわけです。
――意外なことに、類書がほとんどありませんね。
学術書は別として、これだけ重要なテーマなのに一般向けの類書がほとんどないのは、学者の方々にはきわめて書きにくいテーマだからではないかと思います。一般的に学者の方は、批判するとき以外には他人の説を紹介しませんし、自説を展開するにしても、きわめて禁欲的で慎重です。おこがましいようですが、その点、私は新聞記者でしたから、諸先生方の説を並列して紹介し、自分なりの見解も述べ、謎の全貌を俯瞰することができました。これ、本書のPRです(笑)。
――最近も、考古学上の新発見が相継いでいるようですが。
最近のトピックスは、奈良県明日香(あすか)村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳の発掘ですね。形態が完全な8角形であることが証明されたのですが、8角形というのは、7世紀半ば以降の天皇陵のシンボルです。つまり、今まで荒れるにまかされていたこの古墳が、天皇陵である可能性が一気に高まったわけです。天皇陵とすると、被葬者は第37代斉明天皇以外には想定できません。
しかも、その後の発掘で、この牽牛子塚古墳のすぐ傍に、小さな古墳が発見されました。『日本書紀』には、斉明陵の前の墓に孫の大田皇女(おおたのひめみこ)が葬られた、とあるのですが、まさにその孫娘の墓が出てきたわけです。牽牛子塚古墳が斉明天皇の本当の墓であることを駄目押しするような成果です。
ところが、これだけの成果がありながら、宮内庁の姿勢はこれまでとまったく同じで無関心そのもの。発掘の当事者である明日香村教育委員会の発表には、宮内庁に配慮したのか、斉明天皇の「さ」の字もありません。そんな行政の態度に怒りの声をあげないマスコミも、どうかしています。
天皇陵はわが国の特別貴重な文化財です。ぜひ一度、じっくりと天皇陵をながめていただきたい。山の辺の道に沿い雄大な姿を横たえる景行陵、満々と水を湛える濠に優美な墳丘を映す垂仁(すいにん)陵などを前にすると、時の経つのを忘れます。わが国の始祖たちの壮大な営みに、厳粛な気持ちになります。天皇陵は、民族の矜持を取り戻す拠り所なんです。
だからこそ宮内庁には、天皇陵の治定を科学的に見直し、国民に公開することを強く要望したいですね。