自分よりも広い世界
──今回の小説は完全な三人称で書かれています。
小川 そうなんです。私の小説では初めてです。主人公のリトル・アリョーヒンは1人で自動チェス人形の中に閉じこもっていますので、その彼を誰が描写するかという問題が起こってくるんです。彼を誰も目撃できないわけですから、他の登場人物の視点では書けません。なので、三人称を選びました。でも、難しかったですね。
文体としては、例えばおばあさんが孫に昔話をするような、昔々、リトル・アリョーヒンというチェスの詩人がいたんだよ、と語って聞かせるような文体になったらいいなと思って書きました。
──重要な登場人物の一人「老婆令嬢」との対戦のあとに彼女の言葉として「自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません。自分自身から解放されて、勝ちたいという気持さえも超越して、チェスの宇宙を自由に旅する……。そうできたら、どんなに素晴らしいでしょう」とあります。この言葉を小川さんご自身の文学観の吐露として読んでしまいました。
小川 チェスは数学であり音楽であり、アリョーヒンにとっては詩であり、やはり芸術なんですね。
たしかに小説も自分にこだわっているうちは、自分の枠を超えたものは書けないんです。小説というジャンルがもっている世界の方が自分よりも、もっと広いですから。無になって言葉の世界を探検した方が、いいものが書けるのではないかとずっと思っていました。
チェスもそうなんですね。チェスで自分の能力を自慢したり、自分のスタイルを築いたり、自分を格好よく見せる必要なんてないんだと思います。
作家の保坂和志さんが同じようなことを仰っていました。保坂さんは将棋がお好きなんですが、将棋も自分が指そうと思ってはいけないんだそうです。将棋には将棋が本来持っている動きみたいなものがあって、それに乗ればいいんだと。また、最強の手が最善の手ではないんだそうです。結局、人間より9×9、8×8の世界の方が大きいんですね。人間が作った盤なのに。
──小川さんと河合隼雄さんとの対談で野球では「球が切れる」「球が走る」という「主語」のお話が出てきます。これと同じことでしょうか。
小川 言葉って面白いですね。非常に正しく表現されていると思います。投手が球を走らせたり、切ったりするんじゃなくて、球がすでに主語になっているんです。チェスも駒を指すのは人間なんですけれど、指した後は「駒が」になるんです。人知を超えた世界です。
──この小説は小川さんの最高傑作、という声がありますが。
小川 いえ、それに対しては答えようがありません。まだ書いていない、次の作品を最高にするべく、一生懸命書き続けるだけです。
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