
もう一度、『ホワイト・ジャズ』。
一九五八年のLA。呪文のような文体のために用意された語り手はLA市警風紀班のデイヴ・クライン警部補。弁護士資格を持ち、時にマフィアの殺し屋も務める悪徳警官。
クラインは翻弄される。
まず、事件――長い間、LA市警と癒着してきた麻薬王が被害にあった、変質者の仕業と思われる押しこみ強盗。
次に、政治――州司法長官選挙を巡る候補者同士の戦いは、LA市警対連邦捜査局の形をとって、ことあるごとに衝突する。
さらに、謎――クラインの上司であるエドマンド・J・エクスリー刑事部長の不可解な指示。
そして、女――大富豪のハワード・ヒューズと愛人契約同然の契約書にサインしながら、それを無視して行動するグレンダ・ブレッドソウ。
はじめは自己保身のために、やがて、理屈では説明できない妄念に突き動かされて、クラインはそのただ中を疾走する。
その行動を、思念を、狂気にも似た情念を、エルロイは、前述した呪文のような文体で書き綴る。
呪文は呪文であるがゆえに、最初は意味を取りにくい。だが、その意味に気づいたときには遅いのだ。語り手のクライン自身が、自らが語る呪文に突き動かされるように破滅への道を転がりはじめるとき、その呪文を読んでいる読者もまた、呪文の魔力にしっかりととらわれる。
クラインが動きまわるLAの街――悪意と腐敗に覆われた街が自らの住む世界と重なり合い、溶け合っていく。それは、逃げることの叶わぬ世界だ。
ある種の人間は、エルロイの呪文に辟易(へきえき)するかもしれない。だが、別種の人間――わたしのような人間ならば、そこになにかを見いだすだろう。
エルロイは読者を選ぶ。万人に好まれる小説など、彼の目指すものではない。
血をまき散らせ――それが、彼が小説を書く理由なのだから。それが、わたしのような人間がエルロイの作品に引き込まれてしまう理由なのだから。
* * *
さらに、『ホワイト・ジャズ』。
本書は独立した物語だ。単独で読んでも十分に楽しめる。しかし、できうることならば、先行作品――『ブラック・ダリア』、『ビッグ・ノーウェア』、『LAコンフィデンシャル』を順番に読むことを薦める。その方が、『ホワイト・ジャズ』のとち狂った魔力をより堪能できるだろう。三作とも、文藝春秋より文庫で刊行されている。
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エルロイはいう――人の感情にへつらうような安っぽい善良さは、最後のひとかけらまで破壊してやる。
わたしの安っぽい良心は、エルロイによって完膚なきまでに破壊された。
わたしもまた、血をまき散らしたいと思っている。