書評

解説――満洲、そして匂いたつ言葉たち

文: 久世 朋子

『草の花 俳風三麗花』 (三田完 著)

 登場人物は多彩だ。「広くて狭い満洲国」で、壽子が偶然知り合った川島芳子、甘粕正彦、そして満洲国皇帝・溥儀、東京市では永井荷風まで登場する。歴史上の人物が、三田さんの筆で生き生きと動き出す。「唐辛子で真っ赤に染まった鰻重を平然と口に運びながら、芳子さんは甲高い声でとうとうと語りつづける」。甘粕は「せかせかとウィスキーを口に運びつつ、ぶつぶつと独り言をつぶやいている」。荷風になると「不機嫌な表情で虚子先生から視線を逸らした。ついで日本髪の松太郎を一瞥すると、男の頬がわずかに弛(ゆる)んだ。だが、すぐにまた不機嫌な顔に戻り、浅草寺の方角へ歩きはじめる」と。その虚子先生は「長州薩摩の連中に威張られるのが嫌で、お若いころ、戸籍を琉球に移してしまったんだよ」というおまけまである。その頃は本籍が北海道か沖縄だと、兵役に取られなかったそうだ。

 甘粕正彦と川島芳子が企てた、満洲国皇帝・溥儀の御前で開かれた句会を最後に、三人が集うことはかなわなくなった。「銃火と不安の歳月が、病身の象の歩みのように重くゆっくりと流れた」。それぞれが戦禍に呑まれ、もがきながらも生きながらえて、昭和二十二年の三月、「花衣」をまとった「三人の見目麗しい名花」がそろって暮愁庵におもむくまで。その歳月の舞台は東京市と満洲である。


 満洲ときくと、胸がときめく。昭和三十二年生まれ、戦後すら知らない私がなぜ、と自分でも不思議である。実際にその時代の風景を見たわけでも、街を歩いたわけでもないのに、なぜかそこが懐かしい土地に思われるのである。さざめくような郷愁を感じるのだ。

 奇妙な錯覚なのだろうが、壽子が目にする「そよと吹く風に乗って右から左へ、白く小さな綿毛が陽光をきらきらと反射しながら舞っている」柳絮が、アカシアが咲く五月の大連の並木道が、私の目の裏に浮かぶ。ある夜は夢の中で、御前句会へと新京に向かう「三麗花」を乗せたあじあ号の展望車に、私も乗っているのだ。花街で漁色を重ねる夫に、花柳病を伝染されたちゑ。そのちゑを救うためのペニシリン開発は、甘粕正彦の力に頼るしかない。深夜のヤマトホテル、208号室のドアをノックする壽子は私かもしれない。そうして川島芳子が詠う「壮大な曠野に沈む巨きくて真っ赤な夕陽」を背に駆け抜ける、女馬賊にもなる。


 満洲は時空を超えて、ある種の日本人の胸の底に、秘かに棲み続けているのかもしれない。三田さんも、ある種、のひとなのだ。

 美は細部に宿る、と私は信じている。その細部が豊富で、柱や梁が立派に組み上がっているこの物語のために、三田さんが選んだ言葉、その使いかたが素晴らしい。「黄ばんだ象牙の箸」、「黄ばんだ」だけで過ぎ去った歳月の長さを表すことのできる日本語。ひとつことを幾通りにでも表現したり、持って回って言ったりする日本語を、とても大切に思っているのだと思う。漢字で表すか、ひらがなにするかにも細かく気を配っている。

 たとえば、「欣快に堪えませんな」「逗留する」「磊落な笑い声」「滋養をつけないと」「白い美髯をたくわえた」「おっかない方」「根を詰めて」「気づまりな関係」「狷介な人物」「廚」「匙」「学舎(まなびや)」「いたわしいことでした」「とんでもないことでございます」「難儀なことで」「もくろみ」と、きりがないのでここまでにして。書き出したものは死語と半死語が混ざり合っているが、三田さんは死語に息を吹き込み、まだ息のあるものはなんとか生き永らえさせたいと祈っているようだ。いかにも日本語らしく、日本人の気持によく似合った言葉が消えていくのが哀しいのだ。


『草の花』は昭和十年の三月に幕が開き、昭和二十二年の三月に幕を閉じた。あの時代の、満洲と東京市を舞台にした巨きな物語、のようにみせて、実は「草の花」、「民草」の生きていることの切なさとあたたかさをふんわりと残すあたり、なかなかの手練(てだれ)者とお見受けいたしました。

 などと言ったら、三田さんはぽっと頬を染めて含羞(はじら)うだろう。焦茶革のハンチングを目深にかぶり直して、角を曲がって消えてしまうに違いない。――そういう、いろっぽいおひとである。

平成二十六年 雛納の夜に

草の花
三田 完・著

定価:740円+税 発売日:2014年04月10日

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<自著を語る>三麗花の肖像(単行本) 三田 完