文春写真館

銃殺刑をまぬかれた山口淑子波乱万丈の人生

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

銃殺刑をまぬかれた山口淑子波乱万丈の人生

「君がみ胸に 抱かれて聞くは 夢の船歌 鳥の歌」(「蘇州夜曲」西條八十作詞)、「あわれ春風に 嘆くうぐいすよ 月に切なくも 匂う夜来香」(「夜来香」日本語歌詞・佐伯孝夫)――澄んだ歌声と美貌で人々を虜にした李香蘭(りこうらん)。

 大正九年(一九二〇年)、撫順(現・中国遼寧省)生まれ。両親は日本人だったが、親中国派だった父から中国語を習い、幼い頃から多くの中国人と家族ぐるみで親交を持ち、養子分(法的ではなく風習)としてこの中国名をもらう。

 ロシア人の友人から、イタリア人オペラ歌手に紹介されて声楽を習い、十三歳のとき奉天(現・瀋陽)に移る。やがて満洲映画協会専属の中国人女優として、日本人には中国への憧れと優越感を、中国人には中国への誇りと抗日意識を吹き込む大スターとなった。

 だが日本の敗戦により、中華民国の軍事裁判にかけられ、売国奴として銃殺刑になるところ、戸籍謄本を示して助かり、国外追放になる。

 日本人からも中国人からも「だまされていた」と恨まれ、「怪しげな女」のイメージを負いつつ、山口淑子という本名に戻って、日本国内やアメリカ、香港で映画女優として再び大活躍し、ニューヨークで国際的な彫刻家イサム・ノグチと知り合い結婚するが、やがて互いに仕事と家庭が両立せずに離婚した。

 昭和三十三年(一九五八年)に外交官の大鷹弘と再婚し、外交官の妻として女優業からは身を引くが、十一年後にテレビのワイドショーに司会者として復帰。ベトナムやカンボジア、中東、北朝鮮などへレポーターとして赴き、金日成や日本赤軍の重信房子にもインタビューしている。

 昭和四十九年に田中角栄の要請で自民党から立候補し、参議院議員に当選。平成四年(一九九二年)に引退するまで多くの役職を歴任し、平成五年には勲二等宝冠章を受章した。平成二十六年九月七日、九十四歳で死去。

 写真は「文藝春秋」昭和四十三年七月号で半生を語った折に撮影された。当時四十八歳。その美しさには、日本人離れした国際性と、自分の信念を持つ知性、それゆえに戦前戦後を問わず、時代の欲する偶像として注目される女性の、緊張感と貫禄が漂っている。

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