書評

小説にとって切実な問い

文: 陣野 俊史 (文芸評論家・フランス文学者)

『心はあなたのもとに “I’ll always be with you, always”』 (村上龍 著)

 メール? そう、香奈子の意識の動きや気持ちはつねにメールで書かれている……。村上龍のメールや電子メディアの扱いは独特だ。たとえば『ラブ&ポップ』という小説では、女子高生たちの援助交際が主題だったけれど、彼女たちの伝言ダイヤルのやりとりと、渋谷の風景が溶け合って、「時代」を切り取っていた。では、香奈子のメールには、どんな働きがあるのか。香奈子の心の揺れがメールの短い文章によって表明され、西崎はそれを解釈する。小説はそうして進んでいく。つまり、メールの言葉やときには書かれていないことを解釈することで西崎は懊悩し、歓喜し、香奈子との関係を深めていく。メールはやはり小説を動かすツールになっている。

 そして、香奈子の心理がメールでしか読めないということは、この小説が基本的に語り手でもある西崎健児の側からのみ書かれていることと関係がある。西崎が香奈子に関わる。その関わり方とダイレクトにつながっている。

 西崎は香奈子を愛している。難しい病気を抱えた香奈子は、西崎の用意した病院に入院し、治療を受け、小康状態になって退院し、だがまた状態が悪くなる……ということを繰り返す。これだけでは二人の世界は閉じたものになる。

 もちろん二人を取り巻く世界はある。五反田の風俗店をやめた香奈子は、西崎の紹介で銀座のクラブで働きだす。管理栄養士を目指して学校にも通う。西崎のほうでも、香奈子以外に「ミサキ」という風俗嬢や、テレビで有名な女性アナウンサー「アベマチコ」との関係は続いている。仕事では、医療ビジネスへの投資話が難しい局面を迎える……。

 だが小説は徐々にそうした様々な要素を削り落としていく。いろんな楽器がいっさい演奏をやめ、西崎と香奈子のユニゾンになっていく、そんな感じがする。

 そして二人の心は、愛とか恋と呼ばれるものとは違うところにある。一人の人間がもう一人の人間に関わることはできるのか。村上氏は「関与」という言葉を使っているが、関与する余地がなくなったとき、人間はどのようにもう一人の人間に向かい合うのか、向き合うことができるのか。小説はこの問いのまわりを長く長く歩いている。人間にとって、そして小説にとって切実な問いがここにはある。

心はあなたのもとに
村上 龍・著

定価:1700円(税込) 発売日:2011年04月14日

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