明治四十一年(一九〇八年)、東京生まれ。小学校の同級生に「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子がいた。東京女子高等師範学校卒業。聖心女子学院で国語を教えながら、シナリオの習作に励む。昭和九年(一九三四年)、劇作家の田中千禾夫と結婚。昭和十四年、戯曲「はる・あき」が評価される。戦後、「悪女と眼と壁」「京都の虹」などを発表。「我が家は楽し」「少年期」「めし」など映画脚本で注目された。のちにテレビドラマもてがけ、朝のNHK連続テレビ小説「うず潮」で人気となる。
主婦業をこなしながらシナリオ、小説、随筆など幅広く執筆を続ける一方、山歩きの女性同好会を組織した、いわば元祖山ガールである。
小学校一年生の夏に父をなくし、その記憶が、山への情熱へとつながっていった。小学五年生の遠足で、武州高尾山の頂に立ち、眼前の富士山を見仰いだときの喜びを終生忘れることはなかった。
〈生まれた家は、日本橋から八キロの、中仙道の宿駅の町にあり、富士は武蔵野の林の果てに、遠く小さく見えた。父は亡くなる前の一日、私と、町外れの小川のほとりを歩いて、自分が以前に登った富士を指さして言った。
――お前もいまに登りなさい。
新らしく事業を起しかけたままで世を去った父のあとは、巨額の借金の返済に追われ、大きな家を他人に貸して小さな家に移り、子供ごころに冷たい世間の風を知って、父さえ生きていてくれたらばと、口惜しかったり悲しかったりしたことは数えきれなかった。
父は富士山にいて、私が高尾山の頂きまで来て、父にあうのを待っていた。
(おとうさんは山にいる)
その思いを胸において、私は山を歩きつづけていった〉(文春文庫「花の百名山」より)
この「花の百名山」で昭和五十六年、読売文学賞を受賞した。浴衣姿で自宅でくつろぐ写真は平成五年(一九九三年)撮影。平成十二年没。
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