書評

解説「不在」による病い

文: 福岡 伸一 (生物学者)

『寄生虫なき病』 (モイセズ・ベラスケス=マノフ 著 赤根洋子 訳)

コペルニクス的転換が起こっている

 ところが21世紀の今、天動説が地動説によって覆されたような、コペルニクス的転換が生物学の最前線で起きているのである。

 先日、世界的な科学論文誌『サイエンス』が2013年の10大科学ニュースを発表した。

 そこには時代の最先端を行く、ガンの免疫治療、遺伝子工学の新技術、脳内の可視化、再生医療、コンピュータによるワクチン設計など、新機軸が並んでいたが、私は(治療やテクノロジーの進歩より以上に)科学が本来果たすべき発見、――自然のダイナミズムのほんとうの姿を明らかにすること――の方に注目した。10大ニュースの中に、次のような一項目があったのである。「あなたの微生物は、あなたの健康を支配する」。“あなたの微生物”とは一体どういう意味だろう。

 それは、私たちの消化管内に棲息する腸内細菌のことだった。

 
 消化管は、身体の「中」にあるようでいて、実は「外」である。人間の身体はぐっと単純化すると、ちくわのようなもので(こういう概念化をトポロジー的思考というのだが)、消化管はちくわの穴。口と肛門で外界と通じていて、消化管の表面は皮膚が内側に入り込んだものに過ぎない。だから消化管壁は、皮膚とまったく同じく、外界との最前線にある。この消化管、表面は細かいヒダがリアス式海岸のように入り組んだ構造をしており、これを無理矢理全部ひろげてみると約100平方メートル、ちょっとした億ションなみの広さとなる。なぜこんなに広いのか。それは、ここで面積をかせいで外界とやりとりをしているから。やりとりをしているのは物質的なこと――栄養素の消化・吸収――だけではなく、情報のやりとりもしている。ここが重要なポイントなのだ。皮膚が、触覚や痛覚や温度感覚、圧など外界の情報を敏感に察知するのと全く同じである。この消化管における外界との相互作用が健康の維持にとても大事であることがわかってきたのだ。

 
 実はここに隠れた役者が介在している。この100平方メートルの消化管表面にびっしりと腸内細菌が棲みついているのである。

 昔から腸内細菌が存在していることはわかっていたが、ほとんどの研究者はそれほど気に留めていなかった。腸内細菌は寄生者――人に重大な害をおよぼすことはなく、栄養の一部をかすめ取っている便乗者――、としか考えていなかったからである。もうひとつ研究者が無関心だった理由は、その実態がよくわからなかったからだった。人間の消化管内は酸素が少なく、そんな環境でも生育可能な嫌気性細菌は、外に出して酸素がある状態、好気的環境におくとたちまち死滅してしまうので、培養することができず、どんな細菌がどれくらい存在するのか――ましてや、どんな細菌が存在して“いない”のか――、研究がなかなか進まなかったのである。

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寄生虫なき病
モイセズ・ベラスケス=マノフ・著 赤根洋子・訳

定価:2,200円+税 発売日:2014年03月17日

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