「がん保険 ――不安を煽って利益を上げる仕組み」。1982年に米国上院高齢化問題特別委員会が作成した調査報告書のタイトルである。1970年代、高まる消費者運動の流れを背景に、米国ではがん保険を販売する中小生命保険会社に対する社会的な風当たりが強くなっていた。奇しくもアメリカンファミリー生命が日本市場への参入を果たし、大躍進を遂げていた頃のことである。
生命保険の「ニーズ喚起」と「不安に訴えるマーケティング」は常に紙一重である。いますぐ無くても困らない商品の必要性を認識させ、購買に至らしめるためには、生死にかかわる不慮の事態が自らの身に降りかかることを思い浮かべる想像力が要求される。いきおい、セールス活動は感性に訴えるものになりがちである。金融商品、とりわけ生命保険でこの点が問題となるのは、商品が複雑であり、売り手と買い手との間に大きな情報格差が存在するからである。百戦錬磨の営業マンを前に家族への愛情を問われて、自信をもって加入を拒否するには一定の知識と強い意志を要するだろう。
では、がん保険とは、いったい何なのだろう。がん保険は本当に必要なのか。それとも、冒頭で紹介した米国議会の調査報告書が指摘するように、不安に訴えて不必要なものを売っているに過ぎないのか。この問いに対して答えるのが、本書の第一の目的である。
2008年5月、私は業界のベテランである出口治明(現ライフネット生命社長)と二人で新しい生命保険会社を創業した。当時、出口が60歳、私が32歳。親子ほどに年が離れていることから「凸凹コンビ」とも呼ばれた。家計所得が伸び悩むなか、生命保険料の負担が重くのしかかる子育て世代に対して、インターネットを活用することで保険料を半額にし、安心して赤ちゃんを産める社会を作りたい。そんな出口の想いを形にしたのが、ライフネット生命という会社である。
営業を開始してから1年半が経過した2009年10月、私は『生命保険のカラクリ』(文春新書)という1冊の本を上梓した。業界内部に入って知った生命保険の仕組みと儲けの構造を広く一般の人に伝えたい、というのが執筆の動機である。事前の予想を上回る好調な売れ行きを見せ、生命保険の本としてはちょっとしたベストセラーになった。
しかし、同書を書き終えた時点ですぐに頭は次作の構想に及んでいた。それは、「医療保険のカラクリ」である。
わが国の公的医療保険制度は極めて手厚い。標準的な医療であれば保険診療として医療費の7割が保険から支払われ、自己負担は3割(多くの高齢者は1割)で済む。しかも、この自己負担額には月々の上限が設けられている。
国民皆保険が実現されているわが国において、民間医療保険はあくまで公的医療保険を補完する役割を担うにすぎない。家計の状況によっては、民間医療保険に加入する必要はないとも考えられる。実際、「数百万円の貯金があれば民間医療保険は不要」と主張する金融の専門家も少なくない。にもかかわらず、生命保険会社による啓蒙活動の結果、民間医療保険は国民経済で大きな役割を占めるようになった。
日本人は医療保険に5兆円も払っている
高齢化と医療技術の進歩により国民医療費は増え続け、37兆円にも上っている。このうち、社会保険料で賄えているのは18兆円に過ぎず、患者による自己負担が5兆円、そして不足する14兆円が公費の投入によって補われている。
これに対して、国民が民間医療保険に払っている保険料は5兆円にも達している。わが国の医療制度、ひいては国家財政を論じる上で、民間医療保険が果たす役割を無視することはできない。本書は、生命保険会社が販売する医療保険と、公的医療保険制度の関係や課題について皆さんの理解を深めることを二つ目の目的としている。
こういった経緯から「医療保険のカラクリ」という本を書きたいと文春新書の編集部に伝えた。そうしたところ返ってきた答えが、「ならば、タイトルは『がん保険のカラクリ』で決まりですね」。なるほど、新書のタイトルはキャッチーでなければならないのである。
生命保険の世帯加入率が9割近くに達し、そして2人に1人ががんで亡くなると言われる時代だからこそ、本書はすべての日本人が知っておくべき医療保険、がん保険のイロハについて詳述している。いたずらに不安を煽られたくない人や、限られたお金を有効に使いたいと考えている方は、ぜひ手に取って頂きたい。
誰しも生きていれば病気やケガをする可能性はあるのだから、医療費の自己負担に備えるためにある程度の貯蓄は持つべきである。このように、医療費は基本的には公的医療保険と貯蓄をもって賄うと考えるべきだ。民間医療保険はそれでも不安な人のための補完的な存在にすぎないのだ。