世田谷の古いアパートに越してきた主人公と隣人たちのほのかな関係を描いて第151回芥川賞を受賞した『春の庭』。著者の柴崎友香さんが、作品の着想や狙いについて語っています。
東京で暮らしている人も、それぞれに違う風景を抱えて生きている
――『春の庭』が生まれたきっかけを教えてください。
写真家の方が自分の家や家族を写した写真集で好きなのがあって。
9年前に東京に引っ越してきたんですけど、たまたまその好きな写真集に映っているお家が近くにあるということで、「どこにあるんだろう」と思いながら散歩してたことがあるんですが、その時に「その家があったら中とか見てみたくなるだろうな」といろいろ想像を膨らましていたところが出発点になりました。
――登場人物の西さんは、写真集に出てきた水色の家を覗いてみたい、と思いつめます。柴崎さんにもそんな願望がありますか?
建物って、作った人の個性が表れていて気になるんですよね。植物がよく生い茂っている家とか、どうなってるんだろう、どんな人が住んでいるんだろうと想像するんですけど、そういうところから物語が膨らんでいったというところはあります。
――舞台は東京ですが、主人公の太郎は大阪出身なんですね。姉と会話するところで急に大阪弁になるので、ちょっとびっくりしました。
30歳まで大阪に住んでいたので、長く住んでいた街の風景だったり文化だったりというのは染みついていて、東京にいるときは東京に暮らしている人と同じように暮らしていて、でも心のなかには違う風景がある。私がそうだということは、きっと他の人もそうなんだろう。それぞれの風景を抱えたままいまのこの街で生きていて、そういう人たちが行き交っている場所ならではの人間関係だったり、出会いだったり、そこから広がって行く面白さがあるんじゃないかと考えました。
――太郎と同じアパートに住む西さんとのあいだにも、だんだん友情が芽生えていきますね。
友達っていっても、さらけ出して、わかり合ってというだけではなく、そんなに話し込んだわけでもないけど何か分ったような気がするとか、分らないことだらけなんだけど一瞬共有できたような気がするとか、そういう関係があってもいい。その人だけの何か大事にしているような関係ってあると思うんですよね。そういうのを小説で書いていければなと、いつも思っています。
読者へのメッセージ
『春の庭』は、あるアパートを巡る、記憶と出会いの物語です。見慣れているような風景の中から、懐かしい人や、出会うことのなかった人に思いを馳せたり、遠い過去のことを考えたりする小説です。ぜひ、ゆっくり読んでください。