- 2014.07.11
- インタビュー・対談
公開対談
北方謙三×川上弘美
作家として書き続けること
第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL(オール讀物 2014年5月号より)
出典 : #オール讀物
ジャンル :
#小説
,#エンタメ・ミステリ
北方「デビューしてから単行本が出るまで十年かかった」 川上「新人賞を獲っても担当者がつかなかった」 第一線で活躍する作家が明かす、小説家で居続けるための極意。
芥川賞が欲しかった
北方 川上さんにお会いしたら言いたいことがあったの。川上さんは芥川賞の選考委員をなさっているでしょう。私が本当に欲しかった賞は芥川賞なんです。
川上 そうなんですか。北方さんは、最初は純文学作家としてデビューされたと聞いて、今回あらためて読ませていただきました。
北方 本当に?
川上 すごく面白かった。描いている世界は違うけど、どこかでハードボイルドや歴史小説を書いている現在の北方さんに繋がっていると思いました。
北方 そうでしょう。だから芥川賞を獲れなかったんだと思う(笑)。当時は、「新潮」編集部に原稿を持ち込んではボツにされてました。「新潮」での担当編集者が同じだったこともあり、中上健次と立松和平がボツ仲間。ゴールデン街で飲んでよく喧嘩をしていましたね。初めての本が出たのは、デビューから十年後です。
川上 それは長かったですね。最近は新人賞を獲ると比較的早く本にしてもらえるじゃないですか。だいぶ環境が変わったような気がします。
北方 長篇の新人賞は別だけどね。新人賞を獲ったらみんな作家と名乗るけど、その後生き残るのは本当に厳しい。芥川賞を獲ったって全然安泰じゃない。
川上 そうですね。芥川賞は新人賞の意味合いが強いと思います。大きな賞ですが、むしろそこがスタートという感じです。
北方 作家になって生き残れるのは、たぶん百人に一人くらいだよ。編集部に原稿を持ち込む奴はいっぱいいたけど、残ったのは中上と立松と私の三人だけでした。
川上 村上春樹さんが書いていましたが、文学の世界は非常に寛容で、リングに上がることは誰にでも許される。ただリングに居続けることが難しいんだと。
そもそも、北方さんが小説を書き始めたきっかけは何ですか?
北方 高校生の頃は健全で、柔道部でした。男子校で、先生や先輩の言うこともよく聞いていましたね。授業中にエッチな小説を書いて前の席の奴に読ませてましたけど。
川上 ふふふ。それはご自分の経験を書いたものですか?
北方 いえ、これから経験するであろうことを想像して(笑)。そういうことはみんなやってるんじゃない?
川上 はい、やってます。私は女子高でしたけど、英語の得意な人が『チャタレイ夫人』の未訳部分を訳して、クラスで回し読みして(笑)。
北方 それで大学に進もうとしたら、結核で「就学不可」になって、一年ぶらぶらしてた。実は次の年も治っていなかったけど、診断書を誤魔化して、何とか大学にもぐりこみました。
川上 北方謙三らしいエピソードですね(笑)。
北方 ところが大学には行かずに、ノートに文章を書き始めた。自分とは何かが知りたかったんだと思います。でも一人称で書くとどんどん内側に入っていく。もっと客観的に書きたいと思って、あるとき主語を「私は」から「彼は」にしてみた。するとブワっと世界が広がって、それが小説の元になりました。
川上 じゃあ書き始めてからは、割とすぐにデビューなさったんですね。でも新人賞に応募したわけではなくて……。
北方 同人誌に書いたものが編集者の目に止まって、「新潮」に転載されることになったんですよ。
川上 現在ではあまり考えられないデビューの仕方です。私も大学時代にはSF同人誌を作っていたんですよ。それを「NW-SF」という雑誌に持ち込んで掲載してもらいました。あれは嬉しかったなあ。
北方 昔は同人誌が盛んだったよね。「新潮」でも同人雑誌推薦特集号というものを出していた。時代小説の北原亞以子さんも、そこでデビューしています。
それで「新潮」に掲載されることが決まったのはいいんだけど、なぜかその知らせが私に届かなかったんですよ。
川上 同人雑誌に連絡先を載せておかなかったんですか?
北方 当時は学生運動の全盛期ですよ。大学は授業なんかなくて、ストライキで学生が占拠している。私も学生運動をやっていたから、自分の下宿の電話番号をわざわざ官憲に知らせるような真似はしません。
川上 どうやって連絡が取れたんでしょう?
北方 私が大学でバーンとバリケードを張って立てこもっているじゃないですか。そのときピケットラインで見張りをしていた奴から連絡があった。私服刑事みたいなのがお前の名前を連呼しているぞって。
川上 それは怖い。
北方 逮捕状は持ってないらしいので、そこまで行って「あんた何者?」って聞いた。そうしたら「『新潮』ヘンシュウブです」って名刺を出してきたんだよ。でも俺は「ヘンシュウブ」っていう漢字が読めなかった(笑)。
川上 古い字で「編輯部」と書いてあったんですか。
北方 そう。そこで初めて自分の作品が「新潮」に掲載されることがわかった。
川上 ドラマチックな話ですね。
北方 そのとき自分の小説が活字になる嬉しさよりも先に、「原稿料いくらいただけるんですか」って聞いちゃった(笑)。
川上 下世話なことを聞くようですが、ちなみに原稿料は……。
北方 一枚いくらか知りたいんでしょ。八百円でした。
川上 へえー、私が二十数年後に載ったさる雑誌は、五百円でした。卵の値段と原稿料は変わらないと言いますが……。
北方 同じようなもんだよね。それが最低の原稿料なんだけど、当時は日給がちょうど八百円くらい。
川上 学生にとっては、すごくいい原稿料ですね!