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公開対談 浅田次郎×林真理子 「小説講座・人物造型の舞台裏」

公開対談 浅田次郎×林真理子 「小説講座・人物造型の舞台裏」

第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

菊池寛が昭和10年に創設した芥川賞、直木賞が150回を迎え、記念イベント「芥川賞&直木賞フェスティバル」が丸の内・丸ビル1階「マルキューブ」にて2014年3月1〜2日に開催されました。 このイベントの「トリ」をつとめられた、林真理子さんと浅田次郎さんによる対談を再録してお届けします。

――直木賞選考委員の林真理子さんと浅田次郎さんにご登場いただきます。ご覧のようにおふたりともたいへん艶(あで)やかなお着物姿で。直木賞選考委員会は、築地にあります「新喜楽」という老舗の料亭で行なわれるのですが、この選考会にもお二方はよくお着物でいらっしゃいます。林真理子さんは1985年、「京都まで」、「最終便に間に合えば」の2編で直木賞をご受賞されました。お隣の浅田次郎さんは1997年に短編集『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞をご受賞されております。現在はお二方とも選考委員として新たなご受賞者を迎えるお立場にいらっしゃいます。本日は、小説というのはどういうふうにしてできあがっていくんだろうというのを主なテーマとして、お二方にお話しいただこうと思っています。

 まずデビューの頃、そして直木賞ご受賞の頃のお話しを、当時の心境や生活の変化なども含めてうかがいたいと思うのですが、浅田さん、いかがでしょうか。

浅田 私はデビューが遅くて、初めて本が出たのが39歳でした。当時としては遅い、という感じを持っていましたね。その後、吉川英治新人賞をいただき、45歳で直木賞をいただくことになりましたが、その前の年に1度、落ちてまして、『蒼穹の昴』で。そのあたりからものすごく忙しくなったんです。だから受賞前後っていうのは、ホント忙しかったですね。ベッドで寝た記憶がほとんどない。24時間机に向かって、寝るときは座椅子をうしろに倒しただけっていうのが何ヶ月も続いたような、そんな印象があります。

 私はその10年前ほど前の受賞ですが、31歳のときでした。候補は4回目。直木賞を獲る前というのは、作家はニンジンをぶら下げられているようなものだから、必死に走るわけです。当時、すでにテレビにも出まくっていまして、タレントだかなんだかわからないようなお姉ちゃんだったんです。だから、いただいた時にも、そんなに好意的には受け取られなかったですね。書いて書いて、寝ないで書いて、私もあの頃よく倒れました。ホテルに缶詰めになって、昼も夜も書いていたので。その頃思い出すのは、あるときタクシーに乗ったら運転手さんが、「林真理子さんだよね? いま何で食べてるの?」って言われたんです、直木賞獲る前に。ああ、作家としての知名度を上げないと、そういうふうに見られるんだなあと思いました。テレビから消えたからもう食べられないんじゃないかと思われるような、そんな状況だったので、受賞したときはうれしかったですね。

短編小説「ラブ・レター」秘話

浅田 そのころのことで思いだすのは、『蒼穹の昴』は講談社の保養施設に缶詰めになって書いていまして、一気に書こうと意気込んで入ったんですが、考えてみたら1800枚を一度に書けるわけはないんですね。書いているうちに飽きちゃって、ガラッと窓を開けたら、隣に中国人ばっかりがいるバーが見えて、そこの2階に住み込み用の二段ベッドがギッシリあるのが見えたんです。で、向こうから手を振るんですよ。べつに僕はその怪しいバーに行ったわけじゃないんですよ、断っておきますが(笑)。気分転換に違う小説を書こうと思って、それで「ラブ・レター」っていう短編小説を書いた。まさに見たまんまの小説。この短編が『鉄道員』に収録されて、それが直木賞を獲った。だいたい缶詰めにされてるときは、缶詰めにされている原稿って書いてないですね。

――そういう不実な方がよくいらっしゃるんです。われわれが一生懸命お待ちしているのに、全然関係ない原稿を書かれている。

浅田 この司会の人は、若いころ、僕の担当だったんですけどね、文春という会社には缶詰めにする部屋があるんですよ。

 「残月」じゃない?

――林さんの頃は「残月」という和室だったんですが、浅田さんの頃はビジネスホテルのシングルルームのような形態になっていました。

浅田 そこで缶詰めにされて、この人に、「そこに籠って短編1本書きなさい」って言われてね。書き上がって渡したら、ここを、もう1回書き直してください、って言われて。

 ちょっと! そんなことしてたんですか!

浅田 ホントにそう(笑)

――表現に誤解があるように思うんですが。「これはたいへん素晴らしい小説ですね、ただ……」

浅田 「ただ、ちょっとこうしたらいいんじゃないですか?」と。

――それは一応、編集者として申し上げました。

浅田 その意見に沿って改稿したら、さらに意見を言われて。もう書き直しなんかできないんで、怖いから原稿を置いて逃げたんです、裏の守衛室のところから(笑)。

――先生はもうお帰りになりましたと言うんで缶詰め部屋に行ってみたら、原稿があるだけでご本人はいらっしゃらなかった。

浅田 そういうことがありましたね。

小説における人物造形

 

 講談社は赤坂にあった吉川英治さんの旧居を缶詰め部屋にしてましたね。あの頃、私は1ヶ月ぐらいホテル住まいして、あとは自分のお金でまたホテルにずっとい続けて、季節が変わっちゃうなんてことがよくありました。すごくつらい日々だったな、あの頃って。外に出かけないから髪もボサボサで。いま若い作家は缶詰めってあんまりしないでしょ?

――真面目な方が多くなりましたから。お集まりの方々にご説明すると、出版社は作家用の執筆部屋を持っていまして、流行作家の方に、いまはほかの社の仕事されては困るよっていう場合に、そういうお部屋に、まあ軟禁状態にするわけです。「あとはよろしくお願いします」と言って、われわれは部屋を去るんですが、「頑張ります」と言いつつ、よその社の原稿を書いてることが多々あるんですね。翌朝行っても、1行も進んでいない(笑)。

 今日は小説の名手といわれるお二方をお招きしてるので、小説の書き方について少しみなさんにご披露いただけたらと思ってます。私は特にお二方の書くユーモア小説が大好きなんですが、小説における人物造形はどうなされてゆくのか、作家はどこから主人公を発想し、どう肉付けしていって、あの名作のあの人物が誕生するのか、そんなお話をうかがえたらなと思っています。まず浅田さんには『黒書院の六兵衛』のお話をしていただけないかと。

浅田 『黒書院の六兵衛』という作品を、最近、出しました。これは主人公が最初から最後まで口を利かない、セリフがないという話なんです。面白いからぜひ読んでください。

――内容を簡単にご説明します。幕末、勝海舟と西郷隆盛の談判によって江戸の無血開城がなされて、幕臣たちは江戸城を退去しなければならなくなる。ところがただひとり、無言のまま江戸城に居座り続ける武士がいる。この武士はいったい何者で、なんの目的で、江戸城内にひとり居座るんだろうというのを描いてゆく。

浅田 すみません、その侍はずっと座っているんです、江戸城のなかで。座る場所がときどき変わっていくんだけど、出世していく。だんだんといい部屋にひとり勝手に移っていく。だから周りの人が困って、「あれは誰なんだろう? 何者なんだろう?」っていう話を、上下巻で書いたんです。

 これはどこで思いついたかというと、夢に見たんです。江戸城のなかで知らない侍と鬼ごっこをしている夢。これが面白くてね。これはもらっちゃったと思って、新聞連載を始めたんですけども。僕は、夢って自由自在に見られるんですよ。寝てる途中でトイレに行くときなんかでも、半分目をつぶってトイレに行って戻ってきて、よし続きを見るぞって思うと、だいたい見ることができる。

――うらやましい。

作家にとっての“武器”

浅田次郎氏

浅田 ユーモア小説についていえば、ユーモアっていうのはわりと子供の頃から備わってるものじゃないかなと思うんですよね。クラスのなかで、みんなを笑わせて喜ばせてるヤツって決まってるでしょ。だいたい、僕も林さんもそのタイプだったと思うんですよ。笑いだけは勉強して身につくものでもないし。ユーモア小説を書いてるときって、自分でもすごく気楽な感じがします。

――林さんはいま「オール讀物」でハルコさんというたいへんユニークな女性を主人公にした新しい小説シリーズを始めていただいています。ハルコさんというのは小さなコンサルティング会社を経営しているおばさんなんですが、この人はひどく厚かましいんですが、どこか憎めないところがあって、いろんなところでお節介を焼いている。それを連作短編で書いていただいています。

 「中島ハルコの身の上相談室」は、モデルがはっきりしていて、私の友達なんです。どういう人かといいますと、新幹線のキオスクで平気で女性週刊誌を立ち読みするんですよ。「ちょっとやめなさいよ」と言うと「ふん! 『女性自身』に読みたい記事あったんだけど、あんな雑誌を買うのは私のプライドが許さないからさ!」とか、平然と言いはなつような人。立ち読みするのと買うのと、どっちがプライドにかかわるか。ともかく、非常に面白いんですよ。この人を小説にしない手はないと始めたんですが、実をいえば、その人を書いてるようで、実際は私のことを書いてるんですよね。作家ってモデルがいるようでいて、基本的には自分なんじゃないかなって、いつも思っています。私は彼女ほど図々しくもないし、小心な普通のオバサンですけど、こういうことができたらいいなっていう願望も、こういうこと言ってみたいという思いも込めつつ書いてるので、結局は私なのかなと。ディテールはその人からいろいろ借りてますけど。

――林さんの人間を見る目はたいへん意地悪なところがありますね。

 ひどーい、それって!

――これは誉め言葉で申し上げてます。これは作家にとってたいへん重要な武器ですから。

ダイナミックかつ、繊細なテクニックで

林真理子氏

 私、渡辺淳一先生が大好きだったんですけども、渡辺先生が「ホントに林君の書くものは意地が悪いな」って、よくおしゃっていた。だから私は、「先生、私は普段はとっても優しくて人のいいオバサンなんだけど、書く段になると意地悪くなるんですよ」って申し上げたら、先生が「僕もそうなんだよ! 普段は女性に全然興味ないのに、書く段になると、急に興味がわいちゃうから不思議だよな」っておっしゃって。

――人間を冷徹に見て、普通の人には見えないところまで見抜く力。

 意地の悪いとこ、たぶんあると思いますよね。普段は普通にお付き合いできると思いますけども、書くとなると意地が悪くなる。作家ってそうじゃないですかね。

浅田 林さんはご自分では意識してないかもしれないけどね、ずっとマンウォッチングしてます。それは話してるとわかりますよ。人物の造形というのは考えてできることじゃなくて、普段から、日常生活のなかで人間を観察してるんですよ、いつも。この人はこうだろう、あの人はこういう感じって、面白いものを見るように観察してる。だから面白い人たちがたくさん書けると思うんです。

――そうですね、人物を大づかみでバッとつかまえる力。その人間の本質をダイナミックかつ正確につかんで描いてみせる。

 ダイナミックにつかんだあとはすごく繊細なテクニックで書いていかなきゃいけないわけです。人物をうまくつかめるから小説がいいかっていうと、また違うんですよね。今度は細かく、テクニックでもって巧緻に書いていかなきゃいけないわけで。その両方を兼ね備えてる人が作家だと思うんです。

浅田 人物造形というのはワンパターンであってはいけないんですよね。たとえばテレビドラマを観てると、悪代官っていうとだいたい同じイメージで役付されていて、違った悪代官って出ないわけですよ。小説ではあれができないんですよね。判でついたような造形というのはしてはならないし、かといってどっかの借りものでもいけない。しかし、現実に自分の見ている人間をただモデライズする、自分の父親、配偶者をモデライズして書くというのはあんまりいい方法ではない。やっぱり自分の頭のなかで架空のリアルな人間を打ち立てる、本当にいるように想像する。そういうふうに考えて自作の登場人物を作るでしょ。そうするとよく街のなかですれ違った人に、「あれ、誰だっけ? どっかで会ったことあるな」って思う。なんのことはない、自分の書いた登場人物の誰かに似てるってことがあるんですよ。そういうオリジナリティ溢れる想像力というのが小説の人物造形には非常に大事だと思います。

電車で向かい合わせになった人をどう捉えるか

 私も電車できれいな人と向かい合わせになると、この人を表現するにはどうしたらいいかな、とか思うんですよ。端正な顔立ちでもないし、清楚でもないし、なんか私だけの美人の表現ができないかなって、よく考えることがあります。私は、政治家の方と付き合ったりもします。それを批判めいていわれたりもしますけど、お金持ちとか政治家と、こちらの生活に入ってこない程度に付き合うとすごく面白いってことないですか? 政治家とか、お金持ちとかに批判的で、自分はそういう人には近寄らないという人がいますが、そうなると、どんどん狭くなるような気がするんですよ、人物造形が。だって、有名な政治家ってすごい面白いし……。

――林さんは基本的にミーハーでいらっしゃるから。

 そうそう。

浅田 それから、林さんって、もともと性格的に人間好きですよね。

 そうですね。いろんな人とお付き合いするのが大好きです。だから交友関係は広いと思います。うちの夫なんか「よく疲れないな」って言うけど。

――精神が若々しいというか、ものの見方がパターン化されてないから、軽やかな精神のあり方をいつも感じますけど。

 このあいだある省庁の若い官僚たちと飲み会をしたんですけど、そういう人たちと会うと、いい意味で裏切られるわけですよ。みんな、マガジンハウスの編集者みたいな格好してるわけ。そうすると、私が官僚を描写しようとしてるやり方は、もう古くて違ってるなって、そこでひとつひとつ確かめていくようなところってありますよね。

――なるほど、どういうふうにして作家のなかで人物ができ上がっていくか、少しずつ見えてきました。『黒書院の六兵衛』について話を戻しますと、浅田次郎さんの描く人物には、時流とかいまの価値観とかから少し遅れている、非常に純情な男性が出てきます。ともすると、そこの遅れ方に少し滑稽感が伴うんですが、この滑稽感の奥に何があるか、たとえば『鉄道員』の乙松という駅長さんはあきらかに時代遅れの男なんですが、この人の生き方が照らし出す何かを見つめようとするところに、浅田作品の誕生のひとつの型があるように、私は感じています。

浅田 私が時代遅れなんですよ。本人がもともと時代遅れで。僕の世代っていうのは、いわゆるIT社会に乗り遅れた世代です。まだ原稿も手で書いてますし、パソコンも全然ダメですし。ただ、こないだ、ふと魔が差してiPadを買っちゃったんです。

――iPadをですか! 浅田さんがですか!

浅田 なんだかわかんないけど、電子辞書の大きいヤツだろうと思ったんですよね。売ってるから買っちゃったらいろいろなトラブルが起きまして。面白がって呼び出したものが消えなくなっちゃってどうしようとかね。いま格闘中なんだけど。つまり、遅れてるんですよ。だから昔の話を書くのは向いてるんだろうし、昔の話を書いてても、華やかなヒーローを書くよりも、乗り遅れちゃったヤツみたいなのを書くのが自分では合ってるような気がするんですね。それと林さんと違うところはね、僕はあんまり人間好きじゃないんですよ。

 好きじゃない!

浅田 そうなんですよ。人付き合いがうまいほうじゃないんです。できればほっといてほしい。できればひとりにしといてっていうタイプ。ひとりでいるのは全然苦にならないんです。無人島で暮らしたい、世界が俺ひとりを残して破滅しないかなって思うぐらいひとりが好きなんですね。そのへんがちょっと違うのかもしれません。だからわりと客観的に見てるのかもしれませんね、面白がるというんじゃなくて。さっき林さんが電車の前の席に座ってる人の話をされたでしょう。私にとっては人間標本なんですよ。ズラッと顔と風景と人生が並んでるわけだから、ひとりずつの人生っていうのを、この人どういう人だろうとか、どういう生活をしてるんだろうっていうのを考えてるだけで、どこまででもいけるという感じはありますね。

 何しろ小説は人物造形だと思いますよ。

新聞連載の難しさ

――林真理子さんの作品で、ぜひみなさんに読んでいただきたい作品がありまして。『素晴らしき家族旅行』というユーモア小説。もう20年以上前でしょうか?

 20年前になりますか。

――毎日新聞連載。どういう作品かと申しますと、福岡に単身赴任した若い男性が現地でひと回りも上の女性に籠絡されて、年の差結婚をすることになる。それで本社から命令が下って、東京に戻ることになるんですね。そのたいへん年上のお嫁さんを連れて、古い酒屋さんだったと思うんですが、帰った主人公が、妻と母親の嫁姑戦争に巻き込まれるんです。このすさまじい悪意のぶつかり合いというのが本当に面白いんです。あの小説は林真理子の初期作品のひとつの頂点だなといつも思うんですが。もう二度も、映像化されてますよね。

 舞台化もされてますしね。浅田さんもそうだと思うんですけれども、私は新聞小説がすごく楽しいんですよ。毎日リズムが作れていくし、でき上がったときに大きな作品になりますし。毎日毎日、朝ドラみたいにその主人公と付き合ってるうちに情が移ってくるし、勝手にどんどん動いてくるし、うまくいってるときって、ホントに新聞の連載小説が楽しくて。毎日毎日読者からの反響も来るので、楽しい仕事でしたね。自分でノッてくるのがわかるんですよ。連載って、月刊誌だと1日2日すごくつらい思いをするんですけど、新聞というのは毎日書きますから入れ込み方も違いまして。いまおっしゃってくださった『素晴らしき家族旅行』は、私のベスト3ぐらいの作品が書けたんじゃないかないかと思ってますけどね。

――これはもともとユーモア小説なんで、嫁姑のいろんな思惑を込めた会話が、どれほどさまざまな思いに裏打ちされたものか、その滑稽感がたいへん素晴らしくて。さらに主人公である夫が右往左往するさま、これもたいへん滑稽なんですけども、やっぱりそこは人間の哀しみみたいなものが醸し出されるんですね。

 4年前に同じ毎日新聞で連載した『下流の宴』も、この傾向の小説でしたね。私は新聞の連載小説とユーモア小説ってとっても合ってると思います。獅子文六とかそういう人が先駆者だと思いますけども。朝、『サザエさん』みたいにクスッと笑ってくれたらいいなと思いながら書いてます。

――浅田さんも新聞小説をよくおやりになります。『黒書院の六兵衛』も日経新聞連載でした。

全編書きおろし宣言

浅田 僕は書くこと自体が好きなんで、どのやり方が好きかっていうと困るんですけど。月刊、週刊、日刊、あと書きおろしとありますけれども、できれば全部書きおろしでやりたいっていうのが気持ちとしてはあるんですよ。世界的に見ますと、小説の発表というのは、実はほとんど書きおろしなんです。でも日本は明治以来、メディアが急速に発達したので、そこに新聞の連載小説だとか、週刊誌の連載小説だとか、そういう連載の部分がたくさん増えて。僕らは小説を書くときに、まず連載に耐えられるかどうかっていうことを試されながら小説家になっていくわけですね。だから僕が新聞やれ、週刊誌やれって言われたときに、まず最初に考えたのは、やっぱり小説というのは全部素材が同じものであっては無理だろうなとは思いました。だから週刊誌向けの素材、新聞向けの素材、月刊誌向けの素材、書きおろし用の素材、これを別々に考えて書き分けるようにしようというのは、いまでも変わりませんね。だから『黒書院の六兵衛』みたいなテンポの速い小説ならば、わずか1日2枚半の原稿のなかでも、ちょっとでも見せ場を作ることができるという意味から、新聞連載の素材としてはいいなと思ったんですけどね。林さんもご記憶にあると思うけど、昔、新聞の活字っていまよりもっと小さかったんですよ。だから1回の原稿が原稿用紙で3枚入ったんです。これがね、あるときから2枚半しか入らなくなったんです。この半分は大きいって感じしたでしょ?

 すごく大きいですね。あんまりガチャガチャ動かしたくはないんですよね、1日のうちで。リズム作るのたいへんですよ。最近、別の分野のいろんな人に新聞連載やらせて、でき上がってみると、ポキポキしてるじゃないですか。私たち、500枚になったときの流れを作りながら2枚半で書いていくっていうテクニックができるんだけど、書き慣れない人って、ショートショートの積み重ねみたいになっちゃうことってありますよね。

浅田 わかります。新聞小説って難しいことは難しいですよね。

 でも東野圭吾さんと村上春樹さんって長編書きおろしなんですよね。

――そうですね。東野さんはこれからは、基本的にはすべて書きおろすというふうにおっしゃっているようです。

 売れる自信がないとできないよね、すごいなと思います。

浅田 それは僕も1回宣言したんですけども、脆くも崩れましたね。

――そうですね。

浅田 宣言したの覚えてるでしょ?

――覚えてます。

浅田 「これから先、全部書きおろしにしますからそのつもりで」って言ったらね、なし崩し的に元に戻っちゃった。じゃあ、いまここで宣言しますよ。これから書きおろしにしますから、よろしくお願いします。

 やっぱり雑誌には浅田さんの名前がないと寂しいから、そういうことおっしゃらないほうがいいと思いますよ。

小説家を目指す人に

――若い作家、これから小説で世に出ようと思ってる若い人に、小説を書く肝はなんなのか、お二方にひと言ずついただけるとありがたいなと思うんですが。林さん、いかがですか?

 私、新人の方の作品を読むと、うまいなと思って感心しちゃうんです。だけど長続きしないんですよね。なんでなんだろうと思う。渡辺淳一先生は「俗欲がないからだ」って言うんですけど、それだけじゃないような。小説家っていうのは1冊2冊書いただけじゃ小説家じゃないんですよね。20年、30年書き続ける体力と資質がなきゃダメだと思うんです。だから書きながら作り出していくシステムを自分のなかで作っていかないと。出し切っちゃって、4作書いて終わりって方がこのごろあまりにも多い。なんとかこのシステムを早く見つけ出してほしいなって思います。

――地道な努力として、できることっていうのはあるんですか? たとえば毎日何か観察して書くとか、日記をつけるとか、そんなことってあるんでしょうか。

 この頃の若い人って、わりと仕事を選んだり断ったりするじゃないですか。とにかく一生懸命書くことですよね。「オール讀物」とか「小説新潮」とか、小説誌はホームグラウンドだと思って書く。毎月短編を書く、それだけでもずいぶん違うと思います。いまの人ってお金はそんなに欲しなくなっていますよね。趣味に生きればいいし、自分のアパートでパスタ茹でて食べて、そのあと散歩してみたいな、そんなエッセイを読んでると、あれだとちょっと出し切っちゃうんじゃないかなっていうふうに思いますけどね。とにかく書きながら作り出すシステムって、やっぱり書かなきゃダメだよなっていうことは思いますね。

――浅田さんいかがでしょうか。

浅田 これから小説家を目指す人がいるとしたら、とにかく本を読みなさいって、それだけ言いたいですね。本をたくさん読んでないとダメですよ、底が浅くて。でね、林さんもそうなんですけど、僕はものすごく本を読むことが好きでね、昔は文学少年、文学少女っていうところから小説家を目指すっていうのは当たり前のことだったんですけどね。いまは必ずしもそうじゃなくても違うルートがあるんですよ。たとえば映画とか映像にすごく詳しくて、そこから小説書いてみようっていうふうになったり、あるいはコミックが下地にある人っていうのもすごく多いと思う。でもね、やっぱり小説というものをたくさん読んでいないと底が浅い。これは間違いなく言えますから、たくさん本を読む、たくさん小説を読むということが一番大事なことじゃないかと思いますね。僕も本が大好きで、本を読まない日なんてないし、しっかり計算したことはないけど、年間300冊は読んでます。編集者の人もそれぐらいのペースで読んでると思いますけど、そういう下地があって初めて自分の文章の善し悪しがわかるし、また書けるしね。

最初に書いた小説はベットベトの恋愛小説

――浅田さん、最初に書いた小説のことは覚えておいでですか?

浅田 よく覚えてないですけど、中学1年生だったことはたしかですね。中学1年生のとき、いろいろ書いて、うしろに回して読ませるっていうね。僕は小学校のときから言われてたんですよ、作文を書かせると嘘を書くって。

――子どもの頃から変わらなかった(笑)。

浅田 1日のできごとみたいなことを書いてもつまらないから、作り話にしちゃうんですよ。「今日、祖父が死にました」とか。そうすると先生が驚いちゃってね、「聞いてませんけど、お祖父さん亡くなったんですか?」って、そういうことが記憶にありますから。

――浅田さんのエッセイ集なんですけど、『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』という本が文春文庫に入っています。最初に書いた小説の内容は覚えてらっしゃいますか?

浅田 だいたい中学生の頃に書くんだから、恋愛小説ですよ。ベットベトの恋愛小説。

――林さんは最初の小説って覚えてらっしゃいます?

 それがね、私は40数社受けて就職できなくて、ずっとフリーターやってたんですよ。それで、あるとき新聞を見てたら、『海を感じる時』で中沢けいさんがデビューして、これだと思ったんです。「私も小説書いて有名人になる!」って。「文學界」の応募を見て、100枚書くって原稿用紙買ってきたんですけど、実際書けたのは18枚だけだったの。

――それは何歳の頃ですか?

 それが23ですかね。そのあとプロになってから、50枚くっつけて中編にしました。

――その18枚しか書けなかったものをリニューアルして50枚に。

 そう、リメイクっていうの? もう一回作り直したんです。

――それは何が違ったんでしょうか。なぜ18枚しか書けなかったのに、その後50枚書けるようになったんでしょうか。

 やっぱり締切りと担当の編集者がいないっていう、これは大きいと思いますよ。だから私、そのどっちもがなくて、自力で1000枚書いてくる人って、すごいなと思って。

浅田 でも林さん、それは時代の違いもあると思いますよ。僕も林さんも手で書いた時代ですから。いまでも、林さんも手書きでしょ? やっぱり単純な労働力から考えたらパソコンで書いたほうがずっと体の負担はないなっていうのはわかります。手で書いてる頃には1000枚の小説はありえないでしょ。あったって、1000枚はライフワークですよ。

 私、ホラー大賞の選考委員をやってたんですけど、結構ありましたよ、500~600枚とか、1000枚って原稿。ちゃんと読みましたけど、もう二宮金次郎状態。どこ行くにも持ち歩いて読んでました。先日、若い作家の方と対談したらね、手書きは信じられないって言うんですよ。パソコンなかったら小説書けなかったって。パソコンに導かれて文章が出てくるって言うんですよ。それってどういうことなんですか?

浅田 わからない。

 私もよくわからない。パソコンが連れてってくれるって。

一生懸命やった仕事には無駄なものはない

――お二方ともいまだに手書きの原稿ですね、字の美しさはまったくお二方違うんですが(笑)。浅田さんはよく言われるように柳行李いっぱいの習作、デビュー前にたくさんの小説を書いていらした。ですので、デビューをされて、小説雑誌から一気に注文が殺到したときに、驚くべきレベルの高い作品を次々発表することもできた。私は本当にビックリしたんです、どうして毎月毎月、こんなに力の入ったものが各小説雑誌に載るのかと。

浅田 下書きがあって、そのうえに改稿を重ねるんだから、よくなるに決まってるんですよ。あと、ストーリーはでき上がってるわけだから、いわゆるリライトだよね。だからどんな仕事でもそうだと思いますけど、一生懸命やった仕事には無駄なものはないですよ。机の引き出しでも、柳行李でも、心の引き出しでも結構ですけれども、そこに忘れずにしまっておいとく。いつかそれを引っ張り出して磨けば、そのときよりももっといいものが必ずできる。それは僕はたしかに柳行李のなかの原稿は財産でしたね。

――『壬生義士伝』の草稿のお話をうかがったのも、浅田邸にうかがって、奥様もご一緒のときでした。「何か書いてください」ってお願いしたら、「こういう小説を昔、書いたんだよね」っておっしゃった。「え、それ、新撰組じゃないですか。何枚あるんですか?」、「だいたい200から250枚かな」。で、奥様のほうを向いて、「あれどこにいったっけ?」と尋ねると、奥様が、「たしか製本してあったはずよ」っておっしゃった。その200から250枚の習作を、週刊誌連載で上下巻にまとめ上げたのが『壬生義士伝』という作品でした。

浅田 ただ、そのあいだには20年の時間差がありましたから、やっぱり20年前よりはいくらか本もたくさん読んでるし、少しはよくなってるんで、書き直し方もよくなりますからね。

 浅田さんって、出てきたときから大物感があって、次々に賞も獲ってって、すごかったんですよ。私、直木賞獲ったあと10年ぐらいつらかったかもね、ちょっと書くものがうまくいかなかったし、いまでもそういうところありますけど、作家って新人賞を受けて出てこなければなんとなく認知されないところがあるじゃないですか。私が作家になった30年前って、違う世界からポーンと出てくると、わりと「どうせ続かないだろ」とか意地悪されたようなところはあって、でも、それはたしかにそう言われる要素はあったかも。柳行李どころか、小説の書き方も知らなかったので。それでよく注文も来たし、続けたと思いますよ。

――ただあの頃の林さんの勢いというか、存在感とオーラは並みではなかった。私はよく覚えてます。

 ありがとうございます。今日は羽鳥さん(司会者)、すごく誉めてくれますね、いつになく。

浅田 感じが違う。

 そう、いつもと感じが違うじゃない(笑)。

(2014年3月2日「第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL」丸ビル1階「マルキューブ」にて)

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