――ギリシア悲劇?
孔子とちょうど同じころ、ギリシアも古代文明の最盛期で、理科の実験のように明晰な劇が作られていました。登場人物は、それぞれ明確な性格を持ち、必然的な化学反応を起こして、結末へと流れ込んでいく。今日に至るまで、西欧の文学や哲学にインスピレーションを与え続けてきた、西の大古典です。
――「オイディプス王」とか、「エレクトラ」とか、ですか?
ええ。ギリシア悲劇には、登場人物の間の力学の把握の仕方とか、運命への立ち向かい方とか、易経のものの捉え方と似たところがある、と思うのです。
ギリシア悲劇の物語の具体的な場面に易経を当てはめてみると、易経の謎のような文句の意味がとてもよく分かるんです。こういうと、ちょっと怪しげに聞こえるかもしれませんが、神秘的な話とかこじつけとかではありません。散文的に普通に意味が通るようになります。逆に、易経に当てはめてみると、不思議なことにギリシア悲劇の構造もよく見えてくる。
――西の古典で東の古典を、東の古典で西の古典を読み解く、というのですね。
劇中に孔子を登場させて、古代ギリシアの王女と対話させたりするんですが、ちゃんと話が通じる。
それだけではありません。この本で取り上げたギリシア悲劇の作者はソポクレスという人で、やはり人類が産んだ最高の英智の一人だと思いますが、このソポクレスの考え方が、彼の生涯の中でどう変わっていったか、また、孔子の考え方とどこまで似通っていて、どこが違っていたか、といったところまで見えてきます。
自分自身は亡命を繰り返して放浪の人生を送った孔子は、弟子たちには明哲保身を説きましたが、家柄と名声と富と権力に恵まれて一生を過ごしたソポクレスは、逆に運命と戦って玉砕する人々のことばかり描いた。ところが、旅路の果てに、二人は同じような境地を説くようになるんです。
――孔子とソポクレスの対話というわけですね。
これ一冊で、ソポクレスの現存悲劇全七篇のさわりをご覧いただけます。しかも、易経の経文の一割以上は綿密に読んだことになります。その上、東西思想の対話まで付いてくる。手前味噌ですが、大変お得な一冊ではありませんか。
昨日までの延長線上で明日を考えるのではなくて、物事を根底から設計し直そうという時に、助けになるのは、最新式の知識ではなくて、むしろ、二千五百年読み継がれてきたような古典です。現在当たり前だと思っているようなことを相対化し、未曾有のように見える新事態を人類の巨大な経験の蓄積の中に位置づけて把握するために必要なのは、歴史と古典です。
もちろん、いきなり易経の経文やギリシア悲劇に取り組まれても結構ですが、この本あたりで見当を付けてからにされても、決して回り道にはならないと思います。
孔子さまは、「宇宙の真実を見出して易経を立てるのは聖人の仕事、立てられた易経の言葉を玩ぶのは君子の楽しみだ」といっておられる。本書は、君子の楽しみへの誘いです。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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