二○○○年に『ミシン』で作家デビューしている。それより以前、一九九八年に『それいぬ――正しい乙女になるために』というエッセイ集を出している。であるからして二○○○年をデビューとするか九八年を作家デビューとするかは意見の分かれるところなのであるが、その『それいぬ』は国書刊行会から上梓した。現在は文春文庫PLUSに入れて頂いていて、未だに読まれている。国書刊行会の初版はたった三千部だった。
そもそも『ミシン』を書いたのは、エッセイの仕事が欲しかったからだ。『それいぬ』を出してみたものの、なかなかエッセイの依頼がない。そこそこ売れたが所詮、インディーズ。だから小説を一冊出しておけば作家として名の通りがよくなりエッセイの依頼がきやすくなるのではないか? そんな胸算用で上梓したなら小説の依頼ばかりくるようになり、誤算、小説家になってしまった。本来、だから、僕はエッセイストになる筈だったのである。
『それいぬ』は“乙女のバイブル”と呼ばれる。自身でいうのは変だが、その通り、間違いはない。吉屋信子の『花物語』同様、時代を超えて少女に読み継がれていくべき名著である。
エッセイを書くのは非常に得意だ。自分のエッセイはグレードの高いものであるという自負を持っている。しかしながら小説のほうは、未だに書いていて上手く書けているのかどうか自信を持てない。
『パッチワーク』というエッセイ集は『それいぬ』から四年後に発表したセカンド・エッセイ集である。収録した作品は執筆期間も媒体もいろいろで、『それいぬ』を発表してまもない頃、中原淳一をテーマに『Olive』に執筆したものもあれば、恐らく二○○○年なのではないかと思うが陶芸雑誌『陶磁郎』に寄稿した恋月姫の球体関節人形に就いての文章もある。何故、陶芸雑誌に原稿を依頼されたのか、そこに恋月姫のことを書こうとしたのか、もはや全く憶えていない。憶えているのはこの本を一冊に纏(まと)め上げる為に、非常に苦労したということばかりである。