奈良・興福寺の阿修羅(あしゅら)像は、ずいぶん前から写真版で繰り返し観て、憧憬の的のような存在になっていたのだが、どういうわけか実物には会いそびれていて、初めて興福寺国宝館で対面したのは平成十五年、なんと数えで古稀となった年の秋であった。
会った瞬間、その真率極まりない表情に、いっぺんに取り憑(つ)かれてしまったのは、それから間もなく、わが国には類のない写実的な肖像彫刻のルーツを求めて、遠く中国の西安へ飛んだことで証明されよう。
秦の始皇帝の陵墓の近くにあって、皇帝の死後も護衛の任務についている地下の大軍団――あの兵馬俑(へいばよう)を観に行ったのだ。
秦始皇兵馬俑博物館の一号坑展示庁(一万四千二百六十平方メートルの巨大な体育館のような空間)に居並ぶ数千体の歩兵俑は、遠目にはどれも一様な姿形に見えるが、よく観れば、一体一体が風貌も髪型も全部違う。
ガイドの青年の説明によれば、すべてモデルにされた兵士と等身大で、観る人が観れば、顔形や髪型の特徴から各人の出身地まで特定できるのだそうである。
何というリアリズム!
日本語版の図録によれば――。
始皇帝の命令の下に、全国から集められた選り抜きの名工たちは、当地にたくさんの窯(かま)を設け、ここで掘り出した黄土を材料に、まず陶塑の製作に取りかかる。胴体と頭部は分けて作られ、頭部は、工匠が祖型に、ある部分は厚く、ある部分は薄く、手の指で土を貼りつけ、捺(お)したり削ったりして、丁寧に顔形を作って行った。
ここから先は当方の想像になるが、兵俑の顔が千差万別であるということは、つまりモデルとなった同数の兵士が目の前にいて、工匠はその特徴をくっきりと際立たせようと、入念に指先を動かしていたのに違いない。
では、興福寺の八部衆の場合はどうであったのだろうか。
八部衆とは、古代インドの神神が仏教に取り入れられて、仏法の守護神となったもので、八体のうち、迦楼羅(かるら)と鳩槃荼(くばんだ)は異類<禽獣や変化(へんげ)>の貌(かお)をしているが、沙羯羅(さから)、五部浄(ごぶじょう)、乾闥婆(けんだつば)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)、阿修羅の顔は、明らかに実在の人間の容貌を写したに違いない切実な迫真性を、まざまざと示している。
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