表現者たちの営為の途中経過報告
映画監督の冨永昌敬は本書の中で最も印象的な表現者のひとりだ。開催が危ぶまれた2011年の仙台短篇映画祭を中止にしないために、冨永は「三分一一秒」の短篇映画を持ち寄ることを提案した。「どんなに忙しい監督だって5分や3分の短編だったら撮ってくれる」「何よりも願うべくは仙台短篇映画祭の健全な開催」といった思いからだ。結果として、42本の短篇映画が集まり『311明日』へと結実した。さらに翌年、「三分一一秒」の続編をつくって仙台で上映し、来年も、再来年もここに来ることを冨永は宣言した。冨永の活動に対して佐々木は、次のように述べる。本書の中で形を変えて幾度も語られるこの言葉は、「芸術(表現)」について佐々木が強く抱く信念でもあるだろう。「「せねばならない」ではなく「しないではいられない」ということ。「こうあるべき」ではなく「こうしかできない(こうしかならない)」ということ。やらなくてもよい、そうしなくてもよい、という当然さを乗り越えて現れるもの。否定(やらない/ではない)の否定としての能動性。責務として引き受けられる(押し付けられる)ものではなく、無為の権利を無根拠に逆転して露出する行為。私には『311明日』という映画の試みが、そしてその中でも冨永昌敬がやろうとしたこと、やったこと、これからやろうとしていることが、そのような意味での切実さ、内的必然性を強く帯びていると思った。」
本書は、東日本大震災以後、さまざまな表現者たちのなした営為の途中経過報告である。と同時に、いまだあの日以後を生きる私たちへの問いかけでもある。あなたはあのとき何をしないではいられなかったか。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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