そんなこっこは、表紙に「だれをもあけることならぬ」と書いたジャポニカの自由帳を大切にしている。日々、自分の心に引っかかる言葉をそこにかき込んでいるのだ。一頁目には「こどく」。私は小三で孤独に憧れるなんて…と思わず笑ってしまったが、考えてみれば私も子供の頃は孤独や絶望が格好良かった。大人の言う「常識」という言葉に飼い慣らされる前の私は、こっこと同じ様なことを考えていたはずだ。
こっこは憧れる。吃音に、眼帯に、不整脈に。嵐の中を亡命するボートピープルみたいに死にたいと口にする。憧れてはいけないとされていることばかりに心を奪われてしまうのだ。
確かに私も学校で薬を飲む友だちや斜視の友だちを羨ましく思ったこともある。ただ私の場合、どこかで口にしてはいけないという暗黙の了解を感じてしまう子供だった。
こっこは欲望に正直な子供だ。なぜ、不具の人々に憧れてはいけないのか納得がいかない。ある日、こっこは不整脈のふりをして担任の先生に怒られる。ものもらいの眼帯を真似するのは許されたのに、不整脈を真似するのはなぜいけないことなのか? その違いがわからないと、幼なじみのぽっさんに打ち明け、二人は真剣に考える。その姿が美しい。この小説は大人になって忘れてしまった大切なことを思い出させてくれる。
悩める子供たちに、祖父の石太から“いまじん”という言葉が授けられる。相手の気持ちになって考え、想像することがいかに大事なことか。相手の気持ちを知ろうとしなければ、人と人の真の邂逅はないのだ。こっこは“いまじん”することはとても大切なことだと知る。そこから彼女は傷つき更に悩んでゆき、少しだけ大人になる。ここに描かれている子供たちはかつての私たちの姿なのだ。読んでいて何度も目頭が熱くなった。世の中には“イマジン”が足りないのだ。イマジンすることで相手の立場にたってみる。もちろんその境遇になれなくても気持ちには近づける。隔てられた壁も少しは低くなる。昔から大人は子供に教えられることが多いというが、こっこの持つ疑問や行動に教えられるのだ。
今の私たちは子供時代に抱いた疑問を棚上げして、大人になっても解決出来ずにいる。西加奈子はそんな社会に警鐘を鳴らしているのではないか。
そして、私はかつて子供だった大人たちが忘れてはならない大事なことを映画にしたいと思った。大人の心に響く映画に。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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