例えば死ということでいうと、死んでいく人たちが後進に残してくれたものを受け継いでいくという生命のサイクルとしての受け止め方もありますが、一方、忌むべきものとしての死も厳然としてあると思います。その二つの間の接点というか、両者がどちらも成り立ちうる細い道を、人は昔から探してきたんじゃないでしょうか。同じように、今生きているこの世界も、不確かで不気味だけれど懐かしい。死をめぐる細い道を描くことが、この世界を描くことになるのかもしれない、そう思いながら書いていました。
──旅のシーンは夢のように淡いイメージと、また実にリアルな日常生活のありようというようなものがうまく融合しています。
湯本 対極にあるものが矛盾なく成り立つというか、無理なく受け入れられる世界が、それこそ細い道かもしれないけれど、私たちが生きている世界にきっとあるんだよ、ということを書きたかった。その細い道のあっち側とこっち側の片方に行き過ぎたり、足を踏みはずしたりしないように注意して。あとはその道が続いているところをどこまでも歩いていって書きあがったのがこの作品です。
食べるということの切なさ
──辿る町や村はモデルがあるのでしょうか。
湯本 書いているとき、私は瑞希(みずき)や優介たちと対話しながら一緒に旅をしています。行く先や行く順番も、最初は新聞配達店にやっかいになるのがいいのか、それとも中華料理店がいいのか、そういうことを書く前に考えたかというと、考えていないんですよ。自然と新聞販売店に辿り着いて、その先の旅を続けていたら私も瑞希や優介と一緒に中華料理店に着いてしまったという感じです。もちろんそこには意識していないどこかで、計算というものは働いているとは思うんですけれど。書いているときは、むしろ意欲も欲のうちと思って、「こう書いてやろう」とか、そういうことは切っていく、そういうスタンスで書いています。私は不器用ですし、自分の狭い経験とか小さい考えに囚(とら)われないように書こうと思ったらそうするしかない。成り行きに任せるというか……成り行きに任せながら工夫は凝(こ)らしているんですけれど。自分の持っている力を注ぐ努力はめいっぱいするけれど、自分に囚われないように気を配っています。
──ラストシーンの荒涼とした風景は実際にあるところなのでしょうか。
湯本 ラストは、昔行った北海道の野付半島の記憶がイメージのもとになっていますが、特定の場所というのではありません。実際に私が行って体感した風景や記憶から、この世であるようでないような土地になるように工夫しています。
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