──「文學界」二〇〇九年九月号に掲載され、各紙書評で絶賛された湯本香樹実さんの『岸辺の旅』が、この二月に単行本として上梓(じょうし)されます。湯本さんの小説というと少年と老人が物語の中心という印象を受けるのですが、この作品は夫婦が主人公です。この変化(?)は、何か意図するところがあったのでしょうか。
湯本 まったく意識していなかったです。「この小説は子どもでも老人でもない大人を書いたんですね」と、人から言われて、ああ、そうだなあ、と気がついたくらいです。人間は生まれて、子どもから大人になり、老人と呼ばれる状態に移行していく。特にどの年齢にと、自分でこだわってきたつもりはないんですけどね。
──作品のタイトルにもあるように主人公は旅をします。いくつかの町、村を訪ねますが、その構成は初めに決めて書かれたのでしょうか。
湯本 書き始めるときは、私はピークと呼んでいるんですが、小説の核となるものが見えたときに書き出します。映像として頭に浮かぶことが多いんですが、ひとつの言葉だったり、せりふだったりもします。始まったものをとにかくあるところまで連れて行ってくれるものです。でもどうやってそこに辿(たど)り着くか、その先がどうなるかというのはわかっていないですね。そのピークまでなんとか辿り着いてみると、こういう道があると思っていたのに、まったく違う方に道が延びていたりします。そういうふうに、はっきり決めずに書いていって、意外性があったほうが最終的によく書けたと思うことが多いかもしれません。今回も一点ちょっとつかんだことがあって、それだけで書き始めました。ストーリーの構成をきちっと考えてというのは、いつものことですけれど、ありませんでした。
──読者としては湯本さんのこれまでの小説の現実感と違う幽玄とでもいうような、トーンの変化を感じるかと思います。
湯本 例えばすごくよく知っている人間や身近な人が亡くなったときに、堅牢(けんろう)だった周囲の世界というものが、自分が考えていたよりずっと脆(もろ)い不確かな世界だったと、誰しも経験すると思うんです。それはたまたま人が亡くなったときに感じることですが、実は私たちの生きている世界はもともとそんなにしっかりしたものではない、足元が揺らぐ、不安定なものではないかという思いが徐々に大きくなっていったということがあります。とくに、一九九五年に阪神・淡路大震災やオウム真理教(当時)の地下鉄サリン事件が起きてから、そういう気持が強くなっていきました。でも、たしかにこの世界は不安で不確かで不気味かもしれないけれど、その中にたとえようのないほど懐かしいものもある、そういう世界を描きたいとはっきり思うようになったのはこの五年くらいです。
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