私は、今まで、日本のならわしやたしなみなど、日本古来の行事や風習について、さまざまな切り口で本を書いてきました。
14冊目となる今回の本は、それら日本の伝統や習慣の根本にある、もっと本質的なこと、「ほんとうの「和」」の意味を描き出してみたいと思ったのがきっかけでした。
「和」という漢字には、「日本的な」という意味のほかにも「穏やかなこと」とか「仲良くすること」などという意味があります。それらの意味するところは、本質的にゆるくつながっているんじゃないだろうか……と、ここ数年感じていたからです。
私はいま現在、古い歴史を持ち、人と人とのつながりが深く緩やかに構築された地域社会がある三浦半島西海岸の海辺の町に住んでいます。
夏祭り、お正月、どんど焼き、流し雛、七五三、など、さまざまな行事があり、老いも若きも、それぞれ役割分担をこなして行事をつくりあげ、その過程でお互いを知っていきます。その積み重ねが、この地の目に見えない「和」をつむぎあげていくのです。
ふるさとを離れたあと、東京で自由気ままに生きてきた私は、最初、そのようなものは窮屈なものと思いこんでいましたが、子供をこの地で産み、育て、少しずつ馴染んでいくうちに、過去の産物になろうとしている大切なものがこの地にはあるのではないか、と確信するようになりました。
この地にある大切なものとは、震災や原発事故で安易に連呼、乱用され、本来の意味を失いかけているかのように見えることば、「絆」の土台。それは自然と出来上がったものではなく、長い目で見て何を大事にすべきなのか、深く広い視点を持ちつつ、地域を大事に思う先人たちのおかげで保たれているものですが、今はその人たちの存在や意識を知り、先につなごうとする人が急速に減っているのが現状です。あちこちの扉をあけてみると見えてくるその現実に、私は背中を押される思いでいます。
ほんとうの「和」の意味
今回の本では、「和の神」「和菓子」「和装」「和語」「和食」「和楽」「和暦」など、「和」と名がつくあらゆるジャンルの中で、私なりにそのジャンルの本質だと思う、行事やたしなみ、由来などを、簡易な文章とイラストで紹介していきました。
たとえば、「和暦」の項では、旧暦の意味や、七十二候や二十四節気、年中行事などを知っていただくことで、「すべてはつながっている。大きな流れとともにある」という日本人の古くからの世界観に触れていただければ、と思っています。また、「和装」の項では、着物や日本髪のたしなみなど実用にも役立つルールやポイントを紹介する中で、「個性は生かす。ほんとうの自由は決まりごとの中にある」というメッセージを読み取っていただけるのではないでしょうか。
このように、それぞれのジャンルの「和」の本質を抜き出していくと、不思議なことに、人と人との間にあるほんとうの「和」の意味が見えてくるのです。
震災後に起きてきた様々な問題により、今までは見えなかったもの、隠されていた問題や事実が次々と表にあらわれてきた今、あまりにも突然世界が変わったせいなのか、現実を直視できる人と、そうでない人の生きる世界の認識の差が大きくなってきています。
そんな中で日本の和の風習にあらためて目を向けてみると大切な事が織り込まれていることに気づくのです。風習の中に潜む由来や意図をよく知れば日本人の本質があらわれています。しかも私たちの世代はその記憶のかけらを残す最後の世代かもしれません。
日本人が大切にしてきたほんとうの「和」とは、ルールでがんじがらめにしたり、自分の意見を我慢したりするものではなく、大切にすべき芯を中心に据えてさえいれば、揺らがず、感性や感覚をよく働かせて様々なものと出会い、古いものを敬い、新しいものをうみだしていく精神だと理解できると思います。ほんとうの「和」とは、排除とは逆方向にあるもの、無限に広がる世界を構築するための大切な要素なのです。
それに気づき、実践できるようになるためには、ひとりひとりの自立が問われるかもしれません。もしかするとそれが大変だから皆、忘れて、安易な「和」に走ってしまうのかもしれません。
聖徳太子が“和をもって尊しとなす”と書いた時代から、日本人は「和」の本質を考えて生きています。現代の世界にとって大切な資質である「和」の学びを得るチャンスに恵まれた国に生まれ、なおかつそれがまだ残る時代に生きていることは大変な幸福です。
日本古来の「和」のならわしやたしなみを知ってほんとうの「和」を見つけていただきたい。本書が、その一助となれば、大変に幸いです。