「谷開来は大悪女と言われるけれど、ちょっと大した女じゃないですか? 文化大革命でろくに小学校も行けず、豚肉売りをしながら、解放軍の文工団(文藝工作団)入り目指して必死に琵琶を練習しプロ並みの腕前となった。大学入試が復活すると、いきなり北京大学を目指し入学を果たし、弁護士になってしまう。親戚中敵に回しても米国留学のチャンスを蹴っても、本命と決めた男・薄熙来を前妻から奪い結婚する。天晴れな根性ですよ。彼女が日本に生まれていれば、堂々たる勝ち組です」
何かの会議で隣り合わせに座った先輩ジャーナリストに喫緊の中国情勢などと交えてこんな話をしたとき、「その話、おもしろいんじゃないの? 男には分からなかった視点だ。書いたら」と勧められたのが本書を書くきっかけとなった。
元重慶市党委書記・薄熙来の妻、谷開来は「毛沢東夫人・江青に次ぐ悪女」と中国メディアでも散々あくどく書きたてられた。美人弁護士で将来有望な政治家の妻。だが、その裏で夫の権力を借りて贅沢と淫楽の限りをつくし、巨額の蓄財を行い、その挙句、愛人の1人だった英国人ニール・ヘイウッドを毒殺した。何が彼女をそうさせた? 性悪であった、の一言で済ませられるだろうか。
谷開来だけではない。ベトナム難民から中国人となり、15人もの政治家・高官を手玉にとり、失脚させながらも、自らは無事国外に逃げおおせた女実業家・李薇。戦略的に狙った権力者たちを籠絡し国民的人気歌手の座に上り詰めながら、現在行方不明となっている湯燦。貧困農村の卵売りから始め、その甲斐甲斐しさで鉄道官僚らに気に入られ、ついには元鉄道相・劉志軍の愛人となって鉄道利権に食い込み巨万の富を成したが、劉の失脚に連座した女実業家・丁書苗。中国に、悪女は数えきれない。
悪女たちの人生をつぶさにたどってゆくと、予想していたものと違ったものも見えてくる。例えば革命世代の親たちの濃密な人間関係。反右派闘争や文化大革命、あるいはベトナム戦争といった政治事件が人生をどう左右してきたか。農村の貧困がどれほどのものか。彼女らの極めて打算的とも戦略的ともいえる結婚観や男女関係の価値観がどのように醸成されたか。なぜかくも野心的で欲望に忠実で、満足への妥協を知らないのか。具体的な籠絡、汚職、蓄財の手法から見える権貴政治の実態……汝如何にして悪女となりしか。そのプロセスに現代中国の成り立ちが浮かび上がってくる。