今なお「大虐殺論争」の続く南京戦であるが、この占領時の日本側の司令官の名前は、その議論の裾野に比して、あまり知られていない感がある。言わば日本側の「主役」であるはずなのだが……。
松井石根(まついいわね)は、陸軍きっての「日中親善論者」であった。アジア諸国が団結した上で欧米の帝国主義に対抗しようという「大亜細亜主義」の信奉者であり、その中でも「日本と中国が提携していく」ことが最も肝要であるというのが彼の自説であった。松井は陸軍内において、中国への軽侮思想を持つ人たちを強く戒める役回りであった。松井は周囲から「支那屋の長老」などと称された。
昭和12年(1937年)7月、盧溝橋事件を発端として支那事変(日中戦争)が勃発すると、当時、予備役だった松井に「上海派遣軍司令官」という大役が回ってくる。中国に深い造詣と幅広い人脈を持ち、日中関係を長年にわたって研究してきたスペシャリストである松井に、事変解決への大きな期待が寄せられた結果であった。
上海戦を勝利に導いた松井は、続けざまに南京の攻略戦でも指揮を執った。本来、「日中親善」が哲学であるはずの松井は、南京戦を積極的に肯定した。それはなぜか。この部分が、逆説に充ちた彼の生涯における最初の要点である。
中華民国の首都である南京の攻略戦は、烈しい攻防戦となったが、そこにあった本当の光景とは? 「30万人」とも言われる大虐殺が果たして真に存在したのか。そして、司令官である松井はどのような命令を出していたのか。もう一歩、踏み込んで言えば、いかにして日中両国の犠牲者が拡大しないよう松井が努めていたか。
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