本書では多くの資料や証言から、その真相に迫る。特に、司令官であった松井の視線から南京戦を読み解く方法は、すでに百出している感のある大虐殺論争にも、新たな光を当てることができたのではないかと僅かながらも自負している。もしも、この稿において、その結論だけを付すとすれば、「30万人とも言われるような大虐殺は無い」ということになるが、その帰趨(きすう)に到るまでの経緯については、本書を確認し、頷くなり、首を傾げるなり、顔を横に振るなりしていただくしかない。本書を通じて新たな論争が生まれ、議論が適確に深化していくことが、著者のささやかな願いである。
敗戦後、松井は戦犯として極東国際軍事裁判(東京裁判)で起訴された。本書では、この審理の経緯を、実際の速記録を軸としながら、丁寧に確認していく。
虐殺を否定する多くの証言が日本側から提出されたにもかかわらず、検察側の一方的な指弾によって、松井は絞首刑と断じられ、刑場の露と消えた。「日本と中国の提携」を理想とし、その一生を中国への慈しみに生きた陸軍軍人は、その相手国からの意思により、不帰の人となった。
絞首刑となる直前、松井が口にしたのも、「中国への恩愛」であった。
だが、松井石根の名前は現在、中国では「日本のヒットラー」という文脈で語られ続けている。松井への認識には、多くの偏見と誤謬(ごびゅう)が今も降り注いでいる。
しかし、それは中国だけでなく、日本でも似たようなものであろう。松井の生涯は、日本国内においても、十分に検証されることなくここまできた。殊に、南京戦の指揮官であった松井が「日中親善論者」であったという事実は、中国側の国民感情への配慮という戦後の強力な波濤の中で、一種のタブーのようにして蔑(ないがし)ろにされてきたのではないか。
さりとて、終戦から65年以上が経った今、歴史的事実を探求し、冷静に検証を重ねていく地道な作業は、自国史への自然な態度の表れであると思われる。
戦犯として巣鴨に消えた松井の無念は、今も晴らされていない。本書では、東京裁判の矛盾についても改めて考察を加える。
現代を生きる日本人が、大東亜戦争への認識を再点検し、虚実を濾過(ろか)するには、松井石根という存在は、最も優れた主題であると言える。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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