文春写真館

救われた命を音楽と慈善活動に捧げた坂本九

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

救われた命を音楽と慈善活動に捧げた坂本九

 昭和十六年(一九四一年)十二月十日、「マレー沖海戦」の日、川崎市の建設業者・坂本家の九番目の子として生まれる。九は久に通じることから「九(ひさし)」と名づけられる。

 母の実家・笠間市に疎開、二歳の時に母に抱かれて乗った列車が事故を起こし、車輛が川に転落し多数の犠牲者を出すが、母子は偶然、他の車輛に移っており助かった。のちに九は「笠間稲荷の神様が救ってくれた」と、終生、そのお守りを身につけていたという。

 のちに両親が離婚、母親の姓を名乗ったため、彼の戸籍上の本名は「大島九(ひさし)」である。

 プレスリーが大好きだった青年は、一時ドリフターズに所属したり、日劇ウエスタンカーニバルのバックでギターを弾いたりしたが、昭和三十五年、「悲しき六十才」でヒットを飛ばし、翌年の「上を向いて歩こう」で一挙に国民的スターとなる。

 歌手と同時に映画俳優、また司会者としても活躍。そのなかで彼が熱心に取り組んだのが「あゆみの箱」運動だった。さらに手話の普及など、福祉関係の慈善活動に精力的に取り組んだ(写真は昭和三十八年)。

 昭和六十年八月十二日、墜落した日航123便のジャンボ機に乗り合わせたのは、いつも乗る全日空機が満席だった不運によるという。遺体には笠間稲荷のお守りのペンダントがあった。四十三歳であった。

 彼の死によって、特に手話の普及が五年は遅れたとも言われる。

 妻・柏木由紀子氏と二人の娘が、意志を受け継ぎ、現在も活動を続けている。

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