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加東大介の夢は、縁日のお店やさんになること

加東大介の夢は、縁日のお店やさんになること

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 俳優、加東大介は、明治四十四年(一九一一年)、東京・浅草生まれ。本名加藤徳之助。沢村貞子は、姉に当たる。父が歌舞伎役者と親交が深く、兄(沢村国太郎)が女形を演じるようになった縁もあって、旧制中学卒業後、二世市川左団次に入門。後に前進座に入り、市川莚司を名乗る。その後、映画にも出演し、新進の俳優として将来を嘱望された。しかし、戦争中に召集され,前途は絶たれる。

 昭和二十年(一九四五年)四月、絶望的な状況の戦地ニューギニアのマノクワリで、劇場を開設する。長谷川伸脚本「関の弥太ッぺ」を上演した際、雨の降るシーンで紙を使った雪を降らせ、観劇していた兵士たちは故郷をしのんでむせび泣いたという。

 戦後、苦しい生活の中、舞台を離れて映画俳優に専念し、加東大介を名乗る。そして黒澤明、成瀬巳喜男、小津安二郎らの作品に数多く起用され、名脇役として不動の地位を築いた。さらに千葉泰樹監督「大番」では主役をつとめシリーズ化された。また、ニューギニアで劇団を作った経験は、昭和三十六年、文藝春秋に「南海の芝居に雪が降る」として掲載。これが文藝春秋読者賞を受け、小説化(「南の島に雪が降る」)されてベストセラーとなる。さらにNHKでドラマ化、また東宝で映画化され、加東自身が主演した。

 芸によって人を喜ばせることを生きがいとした加東の夢は、縁日のお店やさんになることだったという。

〈子供のころ浅草で育った私は、よく縁日にゆきました。色とりどりのお面や風車をたくさん並べて売っている人を見ると「なんとこの人は物持ちなんだろう」と感心したり、自分がこの人になって、おもちゃも買ってもらえない友達にどんどんあげられたら……という空想をしたこともありました。

 その夢は今でも持ち続けています。子供が大好きな私は、いちど縁日に店を出して通りすがりの子供さんたちに、おもちゃを配りたいと思っています〉(「週刊文春」昭和三十九年八月三十一日号グラビア「私はこれになりたかった」より)

 東京オリンピック開催直前の東京の下町の風景である。昭和五十年没。

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