収録された数々のお話は、もとは朝日新聞に連載されたコラムなので、文章は短い。だから、たいへん読みやすいのですが、それでいて、それぞれの話に必ずちゃんとオチがついていて、読者の期待を裏切らない。酒や酒場に関するちょっとウンチクめいたことが出てくるときも、高いところから教えるのとは真逆の書き方です。
「あれ~? なんかヘンだよねえ」
と語りかけるような優しい突っ込みで笑いのツボを刺激する。だから次々に読み進められるし、どこから読んでも楽しめる。
すごいのは、文章から声が聞こえてくるところです。
なぎら節ということなんでしょうけれど、この名文からは、なぎらさんが呟いたり、落胆したり、茫然自失したり、快哉を叫んだりしている、その声が、聞こえてきます。
自身のことを語るときも、愛すべき大酒飲みの友人のことを語るときも、おいおい、あ~あ~、参ったねえ、一杯いこうぜ、やれやれ、ま、これも人生だ……、そんな声が響いてきます。
また、「なぎらさん、こんなバカをしているんだ」という不思議な安心感を与えるところも本書の大きな魅力になっています。
酒飲みというのは、そういう生き物なのでしょうか。あの人もやっているんだなという思いひとつで、日ごろの深酒とそれに起因する疲労感、あるいは、つい先だってもやらかした大失敗などと、まことに都合よく折り合いをつけてしまったりする。
ただし、なぎらさんの場合は、どれだけ大量に飲んで、どれだけひどい失敗をしたかを自慢したりするのではありません。
酔いそのものと、酔った人と、酒と、酒場。それらを描く筆と一瞬を切り取るなぎらさん自身による写真は、いつも恬淡(てんたん)としていて、冷静なのです。
なぎらさんは、飲んで大いに酔いながらも、バカをする自分とその仲間たちを客観的に見据えている。もっと言えば、酔っているなぎらさんとは別のなぎらさんが、酒場の幽霊よろしくカウンターの内外、テーブルや座敷の奥、つまるところ酒場のそこらじゅうを自在に飛び回っている。
オカルトでもなんでもないんですが、カウンターで飲んでいるはずのなぎらさんの目には、カウンターの中にいる女将のうなじにできた吹き出物や、粋な女性客のふくらはぎにしつこく残る虫刺されのあとなんかまで見えている。そんな気がしてしかたがないのです。
なぎらさんは拙著を評してくださったとき、筆者を「酒飲み」ならぬ「酒飲まれ」と喝破し、それがわかるのはご自身も「酒飲まれ」だからだと書かれた。でも、やはり、なぎらさんは「酒飲まれ」ならぬ「酒飲み」。酒にまじわって染まりつつ絶対に染まり切らない、能動態の人です。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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