「週刊文春」の連載対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」は、今年の春、20年目に突入します。『筑紫哲也 NEWS23』(TBS系)や、『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)など、テレビでも長くインタビューの仕事を続けてまいりました。
これだけ場数を踏んでいるのだから、アガワはインタビューの極意を会得しているに違いない、と思われているきらいがありますが、謙遜でもなんでもなく、その実感はまったくありません。
当初は「下手」と言われることはあっても褒められることはほとんどなく、苦手意識さえもっていたほどです。約20年前に「週刊文春」の連載対談がスタートしてからも、少しは進歩したかな? と自信がつきかけると、次は思うようにいかない、の繰り返し。この連載が5年目に入った頃、コラムニストの山本夏彦さんにゲストに出ていただいたときには、「君は学習しない人だね」と苦笑されたこともあります。結局、いまに至るも、苦手意識は拭えないままなのです。
ですから、この本について依頼されたときも、インタビューの秘訣を語る資格など私にはない、できればお断りしたい、というのが本音でした。
でも、話をもってきてくれたのは、家族ぐるみのおつき合いがある旧知の編集者なので、ムゲに断るわけにもいかない。どうしよう、と逡巡しているさなか、NHKの『ようこそ先輩』という番組に出ることになりました。
この番組は、様々な分野の方々が母校を訪れて、生徒たちに授業をするものです。私も、新宿区四谷にある母校の小学6年生に、人の話を掘り下げるには「たとえば?」とか「具体的には?」の質問は有効です、相づちは大事です、などとインタビューの基本について講義してきました。
子どもにつまらないと思われたくない一心でインタビューについてあれこれ考えるうち頭の中が整理され、これなら、『聞く力』という本も書けるかもしれない、と思いなおしたのです。
その少し前、「週刊文春」の対談でお目にかかった、コピーライターの糸井重里さんのお話も印象的でした。
本書にも書きましたが、糸井さんは東日本大震災が起きてから、「被災地に行く理由が見つからないけど行かなきゃならない、という気持があって、でも理由がなきゃ観光旅行と何が違うんだって、自問自答して」いらしたそうです。
そんなとき、糸井さんはツイッターで、被災者の女性と知り合います。そして、
「被災地に行きたい気持は山々だけど、どこへ行って何をすればいいのか分からない」
と伝えると、その女性から、
「避難所の人たちの話を聞いてあげてください」
と言われたのだそうです。「話を聞いてくれたというだけで、孤独じゃないって分かるから。自分が忘れられていないと気づくから」と。
それを聞いて、私は「聞くだけでも人様の役に立つんだ」と気づかされました。ならば、まだ修行中の身ながら、これまでの経験をもとに、「聞く」ことについて語る意義はあるのかもしれない、と前向きになれたのです。
かつて父から、「少しは(文章が)うまくなってきた」と珍しく褒められたことがあります。しかし父はこう付け加えました。「少し上手くなったと思うと筆が滑るから気をつけろ。(阿川弘之氏の師である)志賀直哉先生の目に止まると思って書け」。
以来、どんな原稿を書くときも、志賀先生がお読みになったら……、と想像しながらパソコンに向かっています。
父の言葉はインタビューにも通じると思います。開き直るわけではないのですが、私がいつまでたっても対談に慣れることができないから、「面白い話が聞けなかったらどうしよう」と、毎回、初心者のようにオドオドしているから、この対談が続いているのではないかと思うのです。実際、必死なんです。
でも、もし私がインタビューに慣れて、「このくらいでいいか」と「言葉を滑ら」せるようになったら、読者にあきられてしまうかもしれません。たまに、「まあ、こんなもんだろう」と気を抜いたり、常套的なインタビューをしてしまったときは、やはり出来が悪いですからね。
本書では、「相づちの極意」「質問は3本」「安易に『分かります』とは言わない」など、ふだんの取材で気をつけていることを紹介しました。これらが、どれだけ世の中の役に立つのかは分かりませんが、「聞く」ことに興味をもたれた方がもしいらしたら、久しぶりにお婆ちゃんの昔話でも聞いてみてください。家族の歴史など思わぬ発見があるかもしれませんよ。