2012年の1月に刊行した文春新書『聞く力』がどうしたことか、売れた。なぜ売れ行きが伸びたのか。わからない。書いた本人がびっくりである。本書についての取材は殺到するわ、講演依頼は増えるわ、知人友人から「おごれ!」コールが続出するわ、高齢の父には「俺はもう収入がゼロになり、母さんと2人、どうやって生きていこうかと腐心していたが……」とニンマリされるわ、とにかくこの2年間は大変な騒動となった。
そして増刷の通知が届かなくなった頃、新書担当編集者の向坊氏から連絡をもらう。
「次、どうします?」
次? なんのこと?
「『聞く力2』のことですよ」
このタイミングに続編を出すことが大事なのだそうだ。そう言われても、もはや対談エピソードやインタビューについて思っていることはほとんど書き尽くした。どうするんだと困惑しつつ、相変わらず『聞く力』関連の取材を受けているとき、女性誌の編集嬢から、「最近、自分が人見知りだと言う女性が増えているんです」と聞かされる。人見知り克服術の特集を組むという。
「なにかアドバイスはありませんか」
冗談を言わないでいただきたい。私だってじゅうぶんに人見知りですよ。そう応えると、
「なにをおっしゃることやら。それだけたくさんの人に会ってるくせに」
鼻で笑われた。いやいや、そういうことではないでしょう。誰だって見知らぬ人の前では緊張するはずだ。インタビューを生業(なりわい)にしている私とて、毎回、「今日は会わずに帰りたい」と思うほど気分が重くなる。でも、仕事を引き受けたかぎり、そういうわがままは通らないから、腹をくくって見知らぬ人に愛想よく質問をするのである。それを、「私、人見知りなんです。お見知り置きを」と最初に宣言してまわりに助けてもらおうというのは、少なくとも社会で仕事をする、あるいは大人として社会と対峙する立場にあって、ルール違反なのではないか。
「それって、甘えなんじゃないの?」
そう私が発言したことをきっかけに、『聞く力2』の骨子が少しずつ構築されていった。いったい世の中の現状はどうなっているのだろう。その疑問をもとに、さまざまな職種の中間管理職のビジネスウーマンを中心に、職場での悩みや愚痴や来し方などを聞き、話し合い、笑って飲んで、そしてしだいに見えてきたことには、どうも最近、他人と面と向かうのを怖れる人が増えているらしい。
力、力と言わない力
「部下を叱るのって、難しいよねえ」
あるとき私がそう呟いた。すかさず部下を多く抱える30代後半の女性プロデューサーが声を発したのである。「アガワさん、『叱る力』も大事だけれど、私としては今の若者に『叱られる力』を身につけてほしいんですよ。だってちょっと叱っただけで、すぐ会社辞めるって言い出すんですから」
そんなこんなで『聞く力』の第2弾がまとまるに至った。詳細は本書をお読みいただくとして、さて、残る問題はタイトルである。考えあぐねているとき、
「次に新書を出すなら、『力、力と言わない力』ってタイトルにしたらどうだ」
93歳の父から苦言を呈された。
「わかりました。参考にさせていただきます」
返答し、担当の向坊氏にも伝え、私たちは神妙な面持ちで、できるだけ「力」をつけないタイトルにしようと頭を巡らせる。
叱られ上手、叱られる覚悟、叱られ前、叱られる喜び、叱られる品格、叱られる人々……、そのうち、叱られるiPS細胞、叱られる富士山、叱られるバカ、叱られラッキー、叱られる準備はできていない、なんてものまで登場し、とにかく「叱られる」をテーマにして、後ろに「力」を、つけたいところではあるけれど、グッと堪えてさんざん模索考察呻吟した結果、
「『叱られる勇気』はどうでしょう」
「いいね、いいね」
編集部全員の賛同も得て、ほぼ決定しかけたとき、
「アガワさん、まずいです。『嫌われる勇気』って本が話題になっています」
なにぃー。やっと決まったと思ったのに。どっと力が抜け、疲労困憊した末に、向坊氏が呟いた。
「さんざん『力』を避けてきましたが、結局、『叱られる力』がいちばん、しっくり来るような……」
もとい!
私は今、この結論を父にどう報告したものかと苦慮している。できれば面と向かいたくない。不愉快そうな顔を見たくない。どうしよう。ああ、神様、我に『叱られる力』を与えたまえ。