ある悲劇的な事件を境に心を閉ざすようになった姪のおちかを引き取った三島屋の主・伊兵衛は、おちかを訪問客の語る怪談の聞き役とすることで、彼女が世間と接する場を設けた。こうして三島屋の「黒白(こくびゃく)の間」では、1度に1人ずつ客を迎えての「変わり百物語」が始まった――。
という設定のもとで、多彩な怪談が繰り広げられる「三島屋変調百物語」シリーズは、『おそろし 三島屋変調百物語事始』『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』と続いてきた。1冊ごとに単行本の版元が異なるというのも他のシリーズにない特色だが(1冊目は角川書店、2冊目は中央公論新社)、第3弾『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』は文藝春秋からの刊行。人情味豊かな話から戦慄の極みの話まで、今回も著者の語り分けは練達そのものである。
珍しくおちかと同年配の若い娘が語り手ということもあって恋愛がらみの第1話「魂取(たまとり)の池」に続き、第2話「くりから御殿」では、50歳になった白粉問屋の隠居・長治郎がおちかのもとを訪ねる。10歳の時、山津波で家族や幼馴染みをすべて失ってしまった彼は、引き取られた網元の別宅で不思議な体験をする。
著者はもちろんこの話を江戸時代のこととして描いているけれども、長治郎が40年間抱えてきた「自分だけが生き残ったことへの罪悪感」は、平成という時代を生きる私たちにも決して無縁ではない。東日本大震災で家族を失った被災者の中にも、そのような罪悪感に苛まれるひとが多いと聞く。あの大災害がまだ記憶に新しいこともあって、この物語の内容はとりわけ胸に染みた。
ここまでの2話は不思議な話ではあっても怖い話ではないのだが、表題作でもある第3話で、読者は極限の恐怖を味わうことになる。三島屋の店先で倒れ、是非とも話を聞いてくれるよう頼んできた半病人のような男。人を見る目を持つ番頭にも年齢の見当がつかなかったその男は、55歳にして老人のような白髪頭をしている。貸家の差配人だった彼はある時、店子の看板屋夫婦から相談事を持ち込まれた。夫婦が育てている捨て子が、3つになっても言葉を発しないばかりか、どうしても泣きやまないことがあるのだという。やがて看板屋を襲った凶事により、男はその子供がどんな時に限って泣くのかを悟った……。
読後、これほどどんよりとした気分になる怪談もなかなかない。夏目漱石『夢十夜』の第3夜、背中に負った子供から過去世の罪を告げられる結末をご記憶の方は多いだろうが、あの戦慄が2度3度と繰り返し襲いかかってくる趣なのだ。そして、何の罪もない子供の末路が、この物語の暗澹たる余韻を色濃くしている。この物語に登場する子供は、罪を告発するためだけに生まれてきたのだろうか――それを思うだけでやりきれない気分になる。著者の作風のうち最もダークな部分が凝縮された作品と言えよう。
続く「小雪舞う日の怪談語り」は、おちかが黒白の間で客の怪談を聞くいつものパターンではなく、自らが怪談の会に出向くという異色の1篇。このエピソードは本書で最も長いが、それも道理、札差の井筒屋が「心の煤払い」と称して師走に催す怪談の会で、招かれた老若男女が語る怪談がそのまま紹介される。「三島屋変調百物語」シリーズという怪談集の中に更に怪談集がある、というマトリョーシカ的趣向だ。その場ではおちか自身は怪談を語らなかったけれども、井筒屋の怪談の会はシリーズが進むにつれてまた登場する機会がありそうだ。
定かならぬ白と黒
壮絶かつ凄惨な話ではあるが、親子の情が印象に残る第5話「まぐる笛」を経て、最後を飾る「節気顔(せっきがん)」には、シリーズ第1作に登場した、あの因縁深い存在の影が再び揺曳する。三島屋を訪れた女客から、彼女の伯父にまつわる怪異の話を聞いていたおちかは、その中に登場する男が、かつて自分が出会った「商人」を名乗る怪かしであることを悟る。
しかし、この物語における「商人」の行為は果たして善か悪か、判定は可能なのだろうか。そういえば、シリーズ第1弾『おそろし』で叔父の伊兵衛は、おちかに「何が白で何が黒かということは、実はとても曖昧なのだよ」と語っていた。『おそろし』でおちかの宿敵然として登場した「商人」さえも、彼女が今まで知ることのなかった、白か黒かも定かならぬ貌を見せる。善と悪、条理と不条理が混在する怪談を聞くという行為を通して、この世の黒白のありようを学んでゆくおちかの遍歴は、まだまだ終着点が見えないようである。
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