書評

新たな「東北文学」の誕生

文: 土方 正志 (編集者・有限会社荒蝦夷代表)

『稲穂の海』 (熊谷達也 著)

  更に、熊谷は東北弁に時代まで刻印してみせる。本書には昭和の高度経済成長期を中心とした物語が収められている。登場人物は、戦中戦後を生きた東北人、高度経済成長期を生きる東北人、そしてそれを回想する現代の東北人に分けられようか。そのそれぞれの世代が、それぞれの東北弁を語る。捕鯨の物語「酔いどれ砲手(てっぽう)」や表題作「稲穂の海」では、登場人物がみな東北弁だ。屋台を引いて戦後の仙台を生き抜いた男の物語「屋台『徳兵衛』」では主人公たちは東北弁だが、息子たちは微妙な標準語。現代の仙台を舞台にモータリゼーション時代の華やかさを哀愁を漂わせながら回想する「てんとう虫の遍歴」は、回想シーンでは東北弁、現代のシーンでは標準語と使い分ける。また、同じ時代であっても、同じ東北であっても存在した地域差をも読ませる。例えば山間部の開拓地の暮らしを描いた「桃子」では、親も子も濃厚な東北弁を使い、同時代なのにアポロにあこがれる「星空を見ていた夜」の仙台の子どもたちや「団地の時代」の家族はみな標準語だ。白眉は、語りと騙りのあわいに、鋭く、そして優しく迫った「梅太郎」か。

 熊谷は、さりげなく東北弁が消えゆく過程を本書に描いているといってもいいだろう。これは殊に東北人の読者にとって、この作品の読みどころとなっている。東北各地のことばの消滅の危機が叫ばれる時代である。仙台などの大都市では、いまや日常生活で東北弁を耳にする機会はほとんどない。家庭では、親も子も標準語で会話する。熊谷は、おそらく自らの少年時代、あの高度経済成長期に東北の暮らしのなかで耳にしたことばを、作品世界に焼き付けようとしている。標準化と平板化、グローバリゼーションに沈もうとしている私たちの時代へのひとつの挑戦といっていいのではないか。井上ひさし亡きあと、新たな「東北文学」の誕生といってはいいすぎか。

 もちろんこれは東北だけの問題ではない。全国各地のことばは、いま、生きているか。死に絶えようとしていないか。標準語だけではない〈ことば〉の復権もまた文学の役割なのではないか。各地のお国ことばで語られた作品を、もっと読みたい。

 そう、東北には宮沢賢治もいた。本書の豊饒で、そして切ない東北弁にもっとも近いのは賢治の「永訣の朝」かもしれない。ページの向こうから「あめゆじゅとてちてけんじゃ」が聴こえる。本書は、そんな豊かな一冊である。

稲穂の海
熊谷 達也・著

定価:1575円(税込) 発売日:2010年10月29日

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