洗面器のなかの/さびしい音よ。 /くれてゆく岬(タンジョン)の/雨の碇泊(とまり)。 /ゆれて、/傾(かたむ)いて、/疲(つか)れたこころに/いつまでもはなれぬひびきよ。……(『女たちへのエレジー』のうち「洗面器」抜粋)
広東の遊郭で、女が男客の目の前で洗面器にまたがり「不浄をきよめ、しやぼりしやぼりとさびしい音を立てて尿をする」音。その情景、時代、センスともに、金子の詩の真骨頂だ。
昭和のはじめ、無一文に近い状態で、あらゆる底辺の仕事をしてお金を作りながら、アジアからヨーロッパまで放浪した詩人。ヴェルレーヌやランボーの訳者。放埒でロマンチックなイメージとは裏腹に、国家や大衆の流れを冷徹に分析し、自己と自国についての信念のあった作家。
明治二十八年(一八九五年)愛知県に生まれ、二歳で養子に出され、京都、東京と転居しつつ成長。骨董好きの養父の影響で日本美術に造詣を深め、十四歳で漢学から江戸文学に通じ、寄席や遊郭にも通うという早熟ぶりだった。暁星中学を卒業後、早稲田大学(英文科予科)、東京美術学校(日本画科)、慶応義塾大学(英文科予科)を転々とするが、いずれも卒業していない。
二十二歳のときに養父が亡くなり遺産を手にするが、数年で蕩尽し、二十四歳で骨董商と共にヨーロッパに旅行し、西洋の伝統と文明に圧倒される。
「大正の移入文化の浅さと、みにくさを感じるにつけ、古い日本の文化が、旅寝の夢に僕を誘ったものだ。しかし、その美しい世界は、故国に帰っても、もはや滅びて得られないものであった」(『絶望の精神史』より)
帰国後、本格的に詩人としての作家活動を始めるが、時代の抑圧的空気や夫婦関係の行き詰まりから、夫婦で世界を放浪し始める。一貫して戦争に反対し、息子を病気にしてまで召集を逃れさせた。
写真は昭和五十年(一九七五年)の「文藝春秋」八月号に掲載された、成蹊大学の前を散歩している風景。戦後の平和と豊かさを享受し、情報や流通の発達により、世界中が同じ生活をするようになった時代を実感しつつ、金子は、「同時に、ばらばらになってゆく個人個人は、そのよそよそしさに耐えられなくなるだろう」「彼らは、何か信仰するもの、命令するものをさがすことによって、その孤立の苦しみから逃避しようとする」と予見し、その時、戦争を知らない若者が「この狭い日本で、はたして何を見つけだすだろうか。それが、明治や、大正や、戦前の日本人が選んだものと、同じ血の誘引ではないと、だれが断定できよう」(同上)と言った。
この写真の撮影の一ヵ月後、七十九歳で他界。だがその予言は、今まさに見直されるべきものとなっている。
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